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物語を愛するすべてのひとたちへ-小説すばる

人間界の諸相 木下古栗 掌編連載

アメトーク読書芸人で取り上げられ注目を集める木下古栗。
ナンセンスの極北を描く鬼才による初の掌編連載。(ときどきエッセイも公開。)

次回は4月17日(月)に掌編を更新予定です!

鳥貴族

菱野時江は黄色い口紅をつけ、真っ白なフェイクファーのボア生地のツナギを着て、自宅の上がり口脇に設置された姿見の前に立っていた。手首と足首のところこそ締め付けるリブになっているが、そこ以外はまるで羽毛のようになめらかにフサフサしている。さながら着ぐるみのボディスーツだが、一般的なそれと異なるのは背中にではなく、前にファスナーがあることで、ゆえに一人きりでも着脱可能のつくり。とはいえその部分は比翼仕立てになっており、さらにボア生地が絶妙にフサフサしているので、それをうまいこと撫でつけたり少し掻き乱したりすることで、前合わせのラインを目立たぬよう隠すことができるのだった。
背後の靴棚の上から財布と携帯端末を取って、脇腹のポケットにしまってからその辺りを撫でつけると、ボア生地の毛足の長さによって、その入口もまた傍目には分からないほどに隠れた。次いで靴棚の上から手袋を取り、時江はそれを両手にはめた。ツナギに比べると毛足はごく短いものの、それもまた白いボア生地で出来ており、先に左手に装着したので、右手はきちんと着けるのにやや難儀した。ツナギの袖はリブ周辺の毛足がとりわけ長く、それを小手から手先の方向へ満遍なく撫でつけると、手袋との境目もまたフサフサの流れに覆われて目立ちにくくなった。つまり首から上と両の素足以外、残らず白いフサフサの体になった。
あちこちの毛並みをなおも念入りに整えた後、時江は首の後ろに垂れていたフードをすっぽりと頭に被った。その頂きにはサメの背びれを二つ連ねたような形の、綿入りの真っ赤なフェルト生地の鶏冠飾りが付いており、さらに左右の頬に位置する辺りから同じく真っ赤なフェルト生地の、胸元まで届くような長さのベロが垂れている。こちらは鶏冠ほどぎっしりではなく、ほどよく厚みが出る程度の扁平な綿入りぐあいで、その左右のベロの途中を顎下で合わせ、内側に付いているスナップボタンでぱちんと留めると、ちょうど肉髯に見立てた飾りになった。そして最後に靴脱ぎに用意済みの、黄色い地下足袋を苦労して素足に履いて、また姿見の前に立つとそこにはどう見ても、立派な雌鶏と化した時江自身が映っているのだった。くるりと半ば背を向けて尻を突き出せば、そこには羽ハタキに似た尾も生えている。
時江はよしとばかりに小さく頷き、靴棚の上から鍵束を取ると、玄関扉をそっと開けて外廊下の様子を窺った。人気のなさを認めるなり、すばやく外に出てエレベーターのボタンを押す。玄関扉を施錠して鍵束をポケットにしまい込んで、両手で鶏冠の立ちっぷりを触って待つこと数秒、到着した無人のエレベーターに乗り込んだ。ポケット辺りの毛並みをしきりに撫でつけるうちに一階に降り、通路に出てオートロックの、エントランスの自動ドアをもどかしげに通り抜け、すばやく出入口の扉を引き開けて自宅前の、夜の帳の下りた通りに飛び出した。ホッと吐息をついたのも束の間、すぐ口もとを引き締めて、涼しい顔で夜道を闊歩する。
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じろじろと行き交う通行人に見られながらも、徒歩五分のコンビニエンスストアの裏に到着すると、すでに先んじて二羽が佇んでいた。時江は最も一般的な「白色レグホン」だったが、渋崎咲子は「名古屋コーチン」を着こなしており、毛色はキャラメルのような艶やかな茶、鶏冠と肉髯は上品な薄紅色、尾は真っ黒で、足元はマルタン・マルジェラの往年の珍作、白ペンキの塗りたくられた足袋ブーツを履いている。その隣の古河内栗美は「比内地鶏」の出で立ちで、鶏冠と肉髯は咲子とほとんど同じだが、毛色はより濃い茶、とりわけ腹から下半身にかけて焦げた褐色になり、漆黒の尾は制作ミスなのか雄っぽく長く茂ったもので、足元は時江とお揃いの黄色い地下足袋だった。「時江が薩摩地鶏だったら三大地鶏揃い踏みだったのに……」と咲子がこれまた黄色い唇を尖らせた。「地鶏なんて田舎臭い。私イタリア原産だから」と時江は気取って言い返しながら、脇腹のポケットにフサリと手を入れた。栗美はブラジャーがずれたのか、自分のむね肉を激しくまさぐるような仕草をみせた。その詰め物でもしているかのような巨大な膨らみを横目に見た咲子が「栗美って胸大きいよね、何カップだっけ?」と訊ねる。「F……」と栗美は消え入りそうな声で答えた。時江は取り出した携帯端末の画面を薄闇に光らせ、土曜日の午後六時二十三分という表示をちらと見た。「やばい、遅れちゃうよ」
三分ほど急ぎ足で歩いた末、赤提灯の吊された焼き鳥屋に着いた。ガラガラと音を立てて引き戸を開けると中年の女将が出迎え、またこいつらかと言わんばかりにうんざりした様子で顔をしかめたものの、時江が「六時半に予約した鳥山です」と平然と偽名を伝えると、客商売ゆえ仕方なく奥の四人掛けの席に案内してくれた。手袋が湿るので配られたおしぼりは使わず脇に置き、取り敢えず「いつもの」を注文する。まだ店内にはカウンター席に常連が座っているだけで、そのうちの一人のおやじが流し目に「俺もヒヨコの格好でもしてくればよかったなあ!」と聞こえよがしに声を上げ、向こうの厨房に立つ大将が朗らかに笑ったが、時江たちは完全に無視した。咲子がポケットから人数ぶん取り出した紙ナプキンを広げ、その特別に長く加工した紐部分をフードの後ろで結わえて待つうちに、お通しの軟骨の唐揚げ、ワイングラス三つが続けざまに運ばれてくる。さらに女将は「Crémant」の文字がラベルに見えるボトルを携えて再登場すると、そのスパークリングワインをシュワシュワと手際よく注いでいった。三つのフサフサした手が滑らないよう注意深く自分のグラスを持ち、時江が「ココリコ」と言って自分のものを掲げる。すると他の二つがそれにそっと打ち合わされた。めいめいの黄色い唇がグラスの縁につき、泡立った液体が流し込まれて、ごくりと飲み込まれた。
時江はお品書きを手に取り、ささみ、ねぎま、ハツ、ぼんじり、砂肝、とり皮などを次々に指名していった。「塩でいいのね?」と女将は確認した。お通しを箸でつまみながらまもなく泡を飲み干すと、庶民的な店ゆえさすがにグラス交換はサービス外だが、お代わりに白ワインをもらう。注がれたシャブリはよく冷えていた。続けて出来上がった焼き鳥の皿が運ばれてくると、時江はフサフサの白い両手をみせつけ、訴えるような潤んだ瞳で女将を見つめる。すると女将は溜息をつき、「こっちも忙しいんだけどね……」と愚痴りながらも、全部丁寧に串から外してくれるのだった。時江たちはそれを箸や爪楊枝で突き刺して食べ始めた。
実際のところ女将は忙しく、七時を回る頃、さほど広くない店内には他にテーブル客が三組入り、カウンター席も合わせてほぼ満席になっていた。その三組とも時江たちを初見のようで、物珍しげにじろじろ見たり、こそこそと小声で明らかに話の種にしている。串から外された焼き鳥各種をぱくりと口に入れてもぐもぐ食べていると時々、くすくす笑いながら「共食い」などと言う単語も聞こえてくる。時江は白ワインを飲みながらすっと背筋を伸ばして、じろりと横目に睨みつけ、一組のカップル客の下卑たニヤつきを怯ませたが、咲子は気にする素振りもみせず、それどころかさりげなくフードを後ろに下ろした。「ちょっと、何やってんのよ」と時江は気色ばんで注意した。「だって暑い……」と咲子は手のひらで顔を扇いだ。栗美はまたブラジャーがずれたのか、自分のむね肉を激しくまさぐるような仕草をみせた。それをカウンター席の常連のおやじが卑猥な目つきで盗み見ていた。
三羽はやがて「店主お勧め!」とお品書きにあるレバー二種とつくねをタレで頼んだ。ブロイラーの悲惨さ等を肴に話し込みながら、残っていた白ワインを飲み干すと、今度は赤ワインにする。女将はそれをとくとくと注いだ後、もちろん焼き上がったレバーとつくねを串から外してくれた。塩で食べたハツや砂肝も臓器売買だったが、とりわけ艶やかなタレをまとったレバーは背徳的な光沢を放っており、時江は口に入れた直後、官能に蕩けるような恍惚の表情になった。その余韻のうちに赤ワインを一口飲んで、今度はタレをまとったつくねに卵黄を絡めて食べる。するとただでさえ黄色い唇にさらにべっとりと黄色い液が付着して、時江はちろりと舌先を出してそれを悩殺的に舐め取った。そしてまた赤ワインをごくり。締めにあっさりとしていながら味わい深い澄んだ鶏ガラのスープを啜り、ホッとひと息吐いて、女将に会計を頼んだ。しかしレジに向かう前に三羽揃って、フサフサの手袋が湿るのも厭わず、おしぼりでテーブルを隅々まで入念に拭く。立つ鳥跡を濁さずとばかりに。
女将はレジに素早く伝票の金額を入力して「一億二千四百万」と告げた。「ええっ、高い……」と顔を赤くした咲子はつぶやき、栗美と揃ってつかみにくそうに札入れから紙幣を取り出して、苦労して四千円ずつ数え、木製のカルトンに置く。するとそこに時江がぺらりと五千円札を足して「一億三千万で」と懐のあたたかさを見せつけた。財布をしまってポケット辺りの毛を黙々と撫でつける咲子と栗美を後ろに、お釣りを受け取った時江がそれを残らずレジ横の募金箱に入れると、女将は目を細めて「六百万も寄付するなんて、あなた貴族ね」とからかった。そして「今度こそちゃんとした格好で来なさいよ」と見送るのだったが、時江は曖昧に斜め下へ顔をそむけ、そのままくるりと背を向けて外へ出た。その後に残りの二羽も続いた。千鳥足でふらふらと夜道を歩き出して、見上げるとヒヨコの頭に見えなくもない真ん丸の満月が浮いている。ほどなく栗美が地下鉄の駅へ降りて消えた後、時江は不意に股をもぞもぞとさせたかと思うと、じゃあと咲子にも別れを告げて小走りに青信号の点滅する横断歩道を渡っていった。

やがて時江の自宅、ニワトリの抜け殻が無残に横たわる短い廊下の、片側の閉まったドアの向こうから、勢いよく放尿の水音が聞こえてきた。それが途絶えた後、うーんと迫力の呻き声が漏れたかと思うと、ポチャンと何かが落ちる音もした。まだ夜にもかかわらず、立派な卵が生まれたのかもしれなかった。

 

イラスト:椋本サトコ

 

 

 時江も出るよ!

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生成不純文学

次回は4月17日(月)に掌編を更新予定です!

Writing

木下 古栗(キノシタ フルクリ)

1981年生まれ。2006年に「無限のしもべ」で第49回群像新人文学賞を受賞。著書に『ポジティヴシンキングの末裔』『いい女vs.いい女』『金を払うから素手で殴らせてくれないか』『グローバライズ』がある。

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