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物語を愛するすべてのひとたちへ-小説すばる

人間界の諸相 木下古栗 掌編連載

アメトーク読書芸人で取り上げられ注目を集める木下古栗。
ナンセンスの極北を描く鬼才による初の掌編連載。(ときどきエッセイも公開。)

次回は4月17日(月)に掌編を更新予定です!

遠隔操作

 菱野時江は自身初の写真展を開催するギャラリーの入口そばに立ち、受付台の上に積み重ねられたカラー刷りのチラシを一枚取って、その裏面を真剣な面持ちで眺めた。「剃りマンジャロ――かくも美麗なる恥丘――」と本人直筆の題字が掲げられた下、写真家自らがここ三年ほどにわたって、本業たる看護師の傍ら、陰毛処理におけるアーミッシュ的態度に基づき、決してブラジリアンワックスや光脱毛器など用いず、脱毛サロンにも足を向けず、ただ研ぎ澄まされた剃刀のみを巧みに操り、細心の注意を払って剃毛した恥丘の、その自画撮りに鋭意邁進してきたことが簡潔な文章で説明されている。自宅や旅行先の宿において、様々に設置したデジタル一眼レフの無機的な眼差しに恥丘をあられもなく曝しながら、それと無線接続した携帯端末の遠隔操作によって、手ずから激写したという撮影方法もそこに記されていた。「あたかも何か自身ならざる存在の意志によって、指先がシャッターを切る。私はその時、神の視点から自らの恥丘を眺めていた。あるいは宇宙から地球を見下ろす衛星のカメラのような視点から……」と下部の囲み欄には時江の生の声も綴られている。「何も処理せよなどという押しつけがましいメッセージ性はない。下の毛というのは剃るもよし剃らぬもよし、現生人類の女性にとって、もはや何ら本質的ではない、言わば偶有性をそなえている。しかし生い茂るままでも有り得た、その秘部の森林という自然が、何の偶然か、あるいは必然か、剃られてしまったというこの圧倒的な不在の存在感――私はその剃毛された恥丘というものに、あるいはそのふもとに通ったひとすじに、オッカムの剃刀によって簡潔にされた論理のごとき、透徹な美しさを見出したのかもしれない……」
 時江はその文言に我ながら同意するように小さく頷き、写真入りの表は一部モザイク処理の施されたチラシを重なりに戻して文鎮を置くと、次に携帯端末を取り出して、スケジュール帳を確認した。今日は午前中に搬入及び設置、十八時より内覧会、そして明日から六日間にわたって本式の開催期間となっている。現在時刻は十六時半を回っていた。

 受付の奥の階段を下り、薄桃色の暖簾をくぐって地下展示室に入ると、そこは窓のない白塗りの空間となっており、特に仕切りなど設けず、出入口以外、四方の壁にずらりと時江自身の接写された恥丘の、実物よりもかなり拡大された鮮やかな写真パネルが三十点飾られている。それぞれの写真の下にはごく小さなプレートが添えてあり、チラシの一節を借りれば「恥丘それ自体がひとつの言語となる」ようにどれも題名は付けられていないが、作品の大きさ、使用機材、施したデジタル修整及び加工などが記されていた。剃り跡の毛穴や血の滲みを敢えて生々しく際立たせたものもあれば、そうした現実を綺麗に取り去って、崇高な神々しいまでの柔肌、なめらかな視覚的触感を作りだしたものもあり、ひとすじの割れ目にぱりっとした海苔が一枚挟まれているもの、二本指でくっきりと露出させた陰核のところに画像加工ソフトを用いて光り輝く大粒のダイヤモンドをはめ込んだものなどもあった。それらの作品群は見るからにそれぞれ異彩を放ちながら、ある種の曼荼羅的な効果をもって、女体の恥丘という部位の興味深い多面性を一堂に表現しており、個々としても全体としても、芸術家としての時江の驚くべき美的センスをきわめて明瞭に提示していた。しかもそれのみならず、部屋の中央にはガラスケースをのせた台があり、その中には剃り落とされた陰毛が一度分ずつ、ワイングラスに入れて並べられてもいる。すべて日付の入った紙片が添えられており、時江がまだ茂りかけの段階で早くも剃った時、鬱蒼と生い茂らせてから剃った時といった折々の違いが毛の量として、まざまざと「見える化」されていた。鑑賞者に不快感を与えぬようにか、適切な洗浄と乾燥を経た旨の注意書きもあった。
 その時、時江の携帯端末が振動した。見るとギャラリーの担当者からのメールで、集英社の文芸誌「すばる」から取材の申し込みが来ているという。「またか……」と時江はつぶやき、手もとを操作してメールボックスに戻るとここ数時間のうちに、同じ担当者から「……より取材の問い合わせです」という件名のメールが既に十数通も届いている。硬軟の別なく各種新聞雑誌から、そして有象無象のウェブメディアからも。時江はやれやれとばかりに溜息をつき、その場で担当者のアドレス宛てにメールを綴った。「午前中は業者の方と設置ご苦労様でした。ニュースリリースってこんなに効果があるんですね(私の写真展がインパクト大のせいもあるでしょうけれど……)。でもお手数ですが、やっぱり事前の取材依頼はすべて断ってください。話題性ではなく、まず現物を見てから判断してもらいたい気持ちが強いので。菱野時江拝」

 それから時江は展示室中央のガラスケースの傍らにたたずみ、四方の壁を埋め尽くす自身の恥丘写真ひとつひとつに冷徹に舐めるような視線を送りながら、じっくりとひとまわり眺めていった。恥丘たちはどれももっこりとふくよかで、ふもとに通ったひとすじもその量感にまろやかに沿った切れ込みとなっている。それは誰しも魅了されずにおれない極上の形態美であり、色気と無邪気、迫力とユーモア、欲望と静謐、解放と秘密、悟りと舌なめずりをすべて等しく包含していた。まこと素晴らしいとしか言いようがない光景だった。
「時江」と不意に背後から声がした。
 うっとりした眼差しのまま振り返ると渋崎咲子が入ってきて、怪訝そうに時江を見つめた。
「何でそんな、エクスタシーの余韻みたいな表情になってるの?」
「だって素敵じゃない? 自分で言うのも何だけど」と時江は微笑交じりに言って、またねっとりと自らの作品群を眺めやった。「それにとうとう、実現するんだなって思って。初めてで色々大変だったし、ボーナス一年分丸ごと飛んじゃったくらい、お金もかけてるし」
「お客さん、いっぱい来るといいね」
「ううん、そういうのは求めてないの。もちろんあんまり少なかったら残念だけど」と時江は既にある程度達成感の滲む微笑みを浮かべた。「それより、今日は有給を取ってまで準備を手伝ってくれてありがとう」
「気にしないで。私と時江の仲じゃない」と咲子はにこやかに言って、ぽんと時江の肩をかるく叩いた。その手からほんのり香料のにおいが漂った。咲子は心なしか眩しげに目を細めながら、どこか神聖な雰囲気すら漂う白い光に満ちた白塗りの空間を見渡した。「それにしても、いいギャラリーを借りれたよね。今行ってきたら、トイレもすごいお洒落だったし」
「うん、オーナーもさすが芸術に理解のある人で、一緒に逮捕されようって言ってくれたの。この国の文化は信じがたいほどに幼稚かつ低劣だから、さざ波程度でも起こしていかなきゃ何も変わらないって意気投合して」
 拡大された三十の恥丘たち、しかも各々多様な顔を見せながら結局のところ一人の秘部の複写群に取り囲まれるうちに、咲子は改めて目を惹かれた様子でしみじみとそれらを眺めやった。
「それにしても、ポルノだね」
「咲子、それは違う」と時江は鼻先に苦笑を漏らした。「これは芸術なの」
 たしなめて物知り顔で両腕を組んでみせる時江をよそに、咲子は受け流す笑みを浮かべてまたひとつの作品、正面やや下のアングルから、ぱっくり切れ目の入った肌色のビワのような、蠱惑的な恥丘を接写したものをじっと眺めた。とりわけ綺麗に撮れたものらしく、陰唇はごく薄い褐色と淡い桃色のあわいに滲んでおり、優美で瑞々しく、可憐であると同時に色っぽかった。
「そう言えば、あの写真パネルってアクリル加工だっけ、何か表面にそういうのが施されてて、触っても大丈夫って業者の人が言ってたよね?」
「うん、汚れがついたりしても拭けばいいの。劣化しにくいし、立体感と透明感も出るってお勧めされて」
「たしかに、すごい綺麗だよね……」
 感嘆のつぶやきを漏らして眺め入ったのも束の間、咲子はちらとガラスケースの上に置かれていたマイクロファイバーのハンディワイパーに目を留めて、それを手に取り、めざましい美しさの恥丘写真にすたすたと近づいていった。そして巨大な猫じゃらしのようなそのハンディワイパーでもって、正面やや下のアングルから接写された麗しの恥丘の、ひとすじの割れ目をそっと撫で上げた。咲子は肩越しに妖しげな流し目を時江にくれて、そのまま繰り返しゆっくりと割れ目を撫で上げ始めた。
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「ちょっと、何のつもり?」
 時江は仁王立ちで両腕を組んだまま、冷ややかな目つきでそれを眺めた。
「別に」
 咲子はこともなげに言って、割れ目まわりを緩やかに焦らすように撫で回したり、右側、左側と交互に撫で上げたり、そうかと思うとフサフサのマイクロファイバーを横に寝かせて、恥丘一面を余すところなく舐め上げるように動かしたりする。時江は両腕を組んだまま肩で溜息をつき、後ろのガラスケースの台の縁にかるく尻を寄りかからせ、ミモレ丈のスカートから伸びる両脛を交差させて、いよいよ冷ややかな目つきでそのさまを眺めていた。ときおり両腕をほどいて片手の指先で前髪を流した。
「そういう下品なことはやめてよ」
「これもまた芸術よ。こういうパフォーマンス的要素を取り入れてみたらと思って」
 咲子は棒にフサフサのついたそのハンディワイパーに次第に生々しい動きを与え、先っぽの方からくいっとしゃくり上げる感じで割れ目を何度もゆっくりなぞり、それからその先端でもって、割れ目上部の一点をしきりにつんつんと突いた。
「どう、感じる?」
「馬鹿じゃないの、変態」
 時江はそう吐き捨てるなり顔をそむけ、あまりの露骨さにほんのり頬を赤く染めながらも、またじろりと横目に睨みつけた。咲子はさらに生々しくハンディワイパーを動かして、触れるか触れないかの繊細な接触でじっくりと恥丘を撫で、すすっと割れ目をなぞり上げ、はては上部の一点に先端を突きあてると、強く刺激するように振動させたりまでする。時江はうっすら頬を紅潮させたまま、なおも冷ややかに目を細めて静観していたが、心なしか落ち着きなく両脚の交差を組み替えたり、背筋を伸ばすようにしたり、髪を耳にかけて撫でつけたりするのだった。咲子はいよいよ熱が入り、割れ目に沿って縦にフサフサをあて、くすぐるように微妙に揺らしてから、何かお祓いめいた手つきで、右、左、右、左とそれを両側に開かせるように交互に撫で始めた。
 時江はチッと舌打ちを響かせ、呆れ返ったように髪を掻き上げながら溜息を漏らすと、ぷいとそっぽを向き、とうとう展示室から足早に出ていった。そしてその歩調のままギャラリーも出て徒歩二分弱のコンビニに赴き、買い物袋を提げて戻ってくると、トイレに入って品物の包装を破り、その新しいパンツにそそくさと穿き替えた。
 

イラスト:椋本サトコ

 

 

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生成不純文学

次回は4月17日(月)に掌編を更新予定です!

Writing

木下 古栗(キノシタ フルクリ)

1981年生まれ。2006年に「無限のしもべ」で第49回群像新人文学賞を受賞。著書に『ポジティヴシンキングの末裔』『いい女vs.いい女』『金を払うから素手で殴らせてくれないか』『グローバライズ』がある。

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