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物語を愛するすべてのひとたちへ-小説すばる

素晴らしき第28世界 石川宗生 ショートショート

『半分世界』で話題の新鋭が紡ぐ、鮮烈なショートストーリー。
本誌とウェブ、それぞれ異なる作品を毎月掲載。

次回は、6月中旬更新予定。

透明な村

「気づかれましたか」
 女の声。小鳥のさえずりのような澄んだ声だ。しかし誰も見当たらない。惚けているのか、麻の服が宙に浮いている。
「まだすこし顔色がすぐれないようですね。さぁ、水を飲んでください」
 服が揺れ、しわが寄る。陶製の水差しが浮き上がり、コップに水が注がれ、わたしの口にあてがわれる。
「これも濡らしておきましょう」
 ひたいにあった布が宙に浮き、洗面器の水に浸され、ひたいに戻る。手のようなやわらかな感触がかすかに伝わってくる。
「もうしばらくお休みになっていてください」
 やはり惚けていたのだろう。その言葉が聞こえたときにはすでに、すべてが暗闇に閉ざされていた。
「おはようございます。お加減はいかがですか」
 だが次に光が差し込んできたときもやはり、麻の服が浮いていた。

 わたしを看病してくれたのは、全身が透きとおったデルフィネという女性だった。わたしには彼女が見えないが、彼女にはわたしが鮮明に見えるのだという。
「あなたは村の前で行き倒れになっていたんです。高熱を出して、三日ほど寝込んでいました」
 わたしは布団に入ったまま、浮遊する麻の服に向かってこれまでのいきさつを説明した。自分は旅の行商人で、野宿が続き、身体が弱っていた。そこに渡河を二回したため、風邪を引いてしまったようだ。黄昏時、どうにか小さな村にたどり着いたが、そこから記憶がない。
 妙なことに、説明の最中、デルフィネは「えぇ……」「あぁ……」「そうですか……」とぎこちない相づちを返してきた。なにか気に障るようなことでも言ってしまったのかと訊くと、デルフィネは消え入りそうな声で答えた。「そういうわけではないんですが、すこし視線が……」
 はっと気づいた。わたしは麻の服に目を向けながら話していたのだが、それはつまり、彼女の身体をじろじろ見ているのも同然だったのだ。しかも目を見ながら話すのが道理だと思い、顔があるべき場所の近く、つまりは大胆なまでに突き出た胸元に目が釘付けになっていたのだ。無意識の所作ではあったが、無意識に胸元を見ていたと言ったところでまたあらぬ誤解を招きかねないので、口をつぐむほかなくつぐんだ。
「いえ、いいんです、大丈夫ですよ」ややあって、気恥ずかしそうな声が沈黙をぬぐった。「なにしろあなたが透明な人に会うのははじめてのことですものね」
 かようにデルフィネは透きとおった姿態そのまま、透きとおったこころの持ち主だった。看病してくれたばかりでなく、旅立てる体力が戻るまで、ここに好きなだけ逗留していいと申し出てくれた。わたしはその言葉に甘え、ゆっくりと療養させてもらうことにした。

 病床から眺めるデルフィネの日常は奇術の世界だった。木造の室内は質素ながら、天井、回り縁、柱がバラ、ヒマワリ、キク、ツツジ、ランなどで飾られていた。その精巧さゆえ一目では分からなかったが、床に落ちていた一輪のポピーを触ってみると紙でできていた。そんな作り物の花園を、日がな一日、麻の服があちらこちらにさまようのだ。宙に浮いたほうきが塵を払い、玄関の戸が開き、閉まる。水桶から水瓶に水が注がれる。青菜、ニンジン、ジャガイモがまな板に並び、包丁が細かく切ってゆく。かまどに火がつき、鍋に水が注がれる。
「できましたよ」
 樫のテーブルに白い湯気の立ちのぼる木の器がふたつ置かれた。わたしは食卓につき、麻の服と向き合った。木のスプーンがスープをすくい、中空で静止したかと思うと、見る間にスープが消える。
 聞けば、幼くして両親に先立たれた寄る辺ないデルフィネは、両親が残してくれたわずかなお金をすこしずつ切り崩しながらひとりで暮らしてきたそうだ。雀の涙程度の稼ぎにしかならないが、現在は紙の造花の仕事をしているのだという。
 食後、造花作りを見せてくれた。何枚もの色紙が折られ、組み合わさり、チューリップ、ツツジ、ヒヤシンスが次々と花開いてゆく。造花というより春の野辺を折っているかのようだった。わたしが賞賛すると、赤い薔薇の造花が八分咲きのまま止まり、ぽつりと声が漏れた。「……ありがとうございます」
 翌日、ある程度体力が回復したので、村のなかを歩きまわってみた。すすけた白塗りの民家が並び、中心には使い込まれた木桶のついた井戸があった。麻の服や買い物かごが宙をさまよい、商店では野菜が浮き上がったり、かごに入ったりしている。村のはずれの河原では、子供の元気な声が聞こえるなか、小さな服と竹編みのボールが右へ左へと行き交っていた。デルフィネからなにもない村だと聞かされていたが、それとはおそらく違う意味でのなにもなさが目についた。
「この村では、みんな生まれつき透きとおっているのかね」
 夕食の席で尋ねると、ためらいがちな声が返ってきた。「たぶん、あなたから見れば生まれつき透きとおっているんだと思います」
「……わたしから、というのは?」
「あなたのような外から来た人には見えなくても、わたしたち村の人間はおたがいがはっきり見えるんです。ここは辺鄙なところですし、外部の人間が来ることも滅多にないので、自分たちが透明だという自覚もないんですよ」
「なるほど。それじゃあ、きみはこれまで村人以外の人間と会ったことがないのか」
「えぇ、仕事の関係で外の世界と行き来している村人は何人かいますし、よその人間には自分たちのすがたが見えないという話を聞いたことはありますが、その、実際に会ったのはあなたが初めてでして……」
 デルフィネの声がたちまちしぼんだ。一瞬の沈黙のあと、気がついた。わたしの視線はまたもや胸元に滑り落ちていたのだ。

 突き出た胸のせいでは決してないが、旅立ちの日、わたしはデルフィネに対し特別な感情を抱いていることに気がついた。売り物の入った嚢を背負って玄関の敷居をまたいだとたん、蔦がまとわりついたかのように両足が動かなくなったのだ。
「もう行ってしまわれるのですね……」
 背後でかぼそい声が漏れた瞬間、わたしはきびすを返し、麻の服と向かい合った。愛の告白をするつもりだったが、麻の服のすこし上に目線を合わせて口を開くと、思いがけない言葉が出てきた。「わたしもヤモリになれたらと思うよ」わたしの目線の先、玄関のひさしにヤモリが張りついていたのだ。
「どうして、また」
「それはつまり……、家にとってのヤモリのような、そこにいるのが当たり前な自然で透きとおった存在になりたいということだ。わたしも透明になれれば君のことが見えるだろうし、不自然な想いを抱かせないですむだろうから」
「……でも、べつに今のままでも良いと思いますよ。見えないこと、見えること、その戸惑いのなかであなたと過ごした毎日は、とても楽しかったですから……」
 デルフィネが言い終わらないうちに、わたしは麻の服を抱き寄せ、口づけをした。ほぼ当てずっぽうだったが、ぷっくりとした生温かい感触がしたからきっと成功したに違いない。

 それからとんとん拍子に話は進み、わたしはデルフィネと結婚の約束を取りつけ、その旨を村の長に伝えた。村の長は、デルフィネの造花をふくめ村の工芸品をよその町と取引しており、不透明な人間に慣れているからか、結婚にも好意的で、村のしきたりに従い婚礼の儀式を執り行ってもらう運びとなった。
 結婚式前夜、わたしは村の男衆、デルフィネは女衆とそれぞれ過ごした。
 わたしは村の長の家に泊まり、集まった村の男たちと酒盛りをした。ひとりひとり自己紹介をしてきたが、みな、似通った麻の服を着ていたのでまるで見分けがつかなかった。透明な人間と不透明な人間が結びついた前例はないため、彼らは、すがたの見えないデルフィネに惚れた理由を興味深げに尋ねてきた。麻の服が描く曲線などとはおくびにも出さず、彼女の透きとおったこころに惹かれたのだと誠意をもって答えると、部屋じゅうに歓声が沸き起こり、わたしの杯になみなみと酒が注がれた。酒樽が半分ほどになった頃、ひとりまたひとりと服を脱ぎはじめ、男衆は正真正銘の透明人間になった。腹芸をすれば宙に顔が踊り、絵筆で自分たちの顔に目鼻口を施して、各自の顔貌を教えてくれた。デルフィネの顔を描いてみせる者もおり、似てる似てると笑い声まじりの喝采が起こったが、わたしはなんとはなしに怖くなって目をそらした。宴もたけなわになると、そこらじゅうの虚空からぴゅーっと吐瀉物が噴き出してきた。
 明くる日の正午、村の中央広場で盛大な祝宴が催された。
 千鳥足の男衆と堅実な足取りの女衆が輪になり、中央にわたしと村の長が座した。わたしは銅製の太陽が先端についた黒いとんがり帽、手足が隠れるほど大きな白地のポンチョという恰好で、村の男衆はウマの刺繍の施された青のポンチョ、女衆は深緑の鉢巻きと黄色のロングドレスすがただった。
 火が熾され、美味しそうな肉の焼けるにおいが漂いはじめた。だが、肝心の料理がどこにも見当たらない。もしやと思って村の長に尋ねると、この地方では動物もみな透きとおっており、いまは子ブタの丸焼きが調理されているのだという。たしかに目を凝らしてみれば、中央の火の上で、つやつや光る脂が子ブタらしき輪郭をうっすら浮かび上がらせていた。
 しばらくのち、深紅のロングドレスとモカシンのブーツ、つまりはデルフィネの登場とともに太鼓が叩かれ、手拍子と陽気な歌がはじまった。深紅のドレスが輪に沿ってゆっくり進み、そのすぐあとに小さな白いドレスと籐のかごが続き、かごに入った色とりどりの造花がばらまかれた。深紅のドレスが三周し、輪のなかが紙の花畑に様変わりすると、太鼓の音に合わせて青のポンチョと黄色のロングドレスがふらふらさまよいはじめた。どうやら踊っているらしい。
 わたしも見えない手に連れ出され、深紅のドレスと踊った。デルフィネはたいした踊り手で、モカシンのブーツで小気味よく地面を踏み鳴らし、ドレスの裾で華麗に造花を散らした。太鼓のリズムが徐々に速くなっていくと、デルフィネの無邪気な笑い声が響き渡り、ドレスがその場で回転をはじめた。わたしも見よう見まねに回り、やがて深紅のドレスと白のポンチョの裾がふんわり広がって、ふたつの円になった。周囲で村の衆が回りだすと青と黄色の円がいくつもできて、あたり一面に色とりどりの布の花が咲き乱れた。

 翌日から正式にデルフィネとの新婚生活がはじまった。
 だが結婚生活というのは、ときとして難儀なものでもある。それはなにも、洗濯物の干し方がなっていないだとか、食器にまだ泡がついているだとか、そういった実生活上の問題ではない。
 わたしとデルフィネは婚前プラトニックな関係にあったが、夫婦になった以上は服の曲線を臆面もなく直視できるわけだし、そうなるとやはりそういう雰囲気にもなってくる。そしてそのときの問題を有り体に言えば、暗がりのなか一糸まとわぬすがたになったデルフィネは文字通りなにも見えなかったのだ。キスからして「そこじゃないです」と言われ、「それは枕」と諭され、「いきなりそんなところから!」と嬌声をあげられた。
 だが最終的には、愛の流れに身を任せることで万事解決した。よくよく考えてみれば、秘め事というのは不透明な人同士の場合もけっこうな割合で暗闇のなかで行われるし、そういうときは手探りも同然なわけで、つまりまあ何が言いたいかというと、おそらくは相当数の人がこころ当たりがあるような、あのハチミツさえ薄れるほど濃厚で甘い初夜を過ごせたのである。
 幸福に包まれると、時までもが透きとおったかのように手触りなく過ぎていった。
 わたしは行商人としてふたたびものを売り歩くようになり、透明な牛革のバッグや骨を削ってつくったアクセサリーなどの村の工芸品に加え、デルフィネの造花もよその町々で売った。これがたいそう評判で、困窮とは無縁の生活を送れた。
 さらにめでたいことにデルフィネは懐妊し、十月十日後、きりよく破水がはじまった。透明な産婆が駆けつけ、透明なお湯が用意された。半透明の子供が生まれるものとばかり思っていたが、透明な産婆に抱きかかえられたその男の子は不透明な子供、つまりはわたしとおなじように姿かたちが見えた。
 だがわたしが愛おしさのあまり我が子に頰ずりをしていたとき、突如デルフィネの泣き叫ぶ声が耳をつんざいた。「あたしの赤ちゃんはどこ!」
 こともあろうか、透明なデルフィネの目には赤子が映らなかったのだ。
「大丈夫、心配しないで」とわたしはつとめて平静に声をかけた。「わたしにはちゃんと見えるよ。玉のような子だ。わたしがきみの目となるから、一緒にこの子を育てよう」
 デルフィネには見えず、わたしには見える、つまりふたりにとっての架け橋のような子供だったので、ブリッジと名づけた。はじめデルフィネは戸惑いを隠せない様子だったが、おむつを替えるぶんにはブリッジが見えずともなんとかなったし、お乳を近づければブリッジのほうから吸いついてきたので、そのうち喜々として子育てに没頭するようになった。
 一年も経つと、ブリッジははいはいができるようになった。二年後には一人で歩けるようになり、次々と言葉を覚えていった。「ママ」「パパ」「透きとおってる」「見えない」「干し方」「泡がついてる」
 そんなある日のことだった。わたしがブリッジを風呂に入れようと服を脱ぎ、名を呼んだところ、我が子はまわりをきょろきょろ見まわしながらつぶやいた。
「パパ、どこ?」
「なに言ってるの、ブリッジ」デルフィネの声がして、製作中の紙のタンポポが八分咲きで止まった。「パパなら、ほら、あそこで裸んぼうで立ってるでしょう?」
「……どこ?」
 不安に満ちたブリッジの表情を見て、すべてを悟った。ブリッジはデルフィネは見えても、わたしのことは見えなかったのだ。おそらくは言葉を話せるようになる前、生まれたときから。わたしは思いも寄らぬかたちで、ずっと切願していた透きとおった人間になれたのである。

 透明な妻と不透明な息子との暮らしは、平穏ながら刺激に満ちていた。ときにたがいの似顔絵を描き、絶対にこんなはずがないと笑い合った。ブリッジが反抗期を迎え、わたしのことをたびたび無視するようになり、母親から注意されると、「そんな人どこにも見えないですけど」などと憎まれ口をたたくようになった。反抗期が過ぎれば自らの振る舞いを反省し、行商人としてわたしとともに町から町へ渡り歩き、デルフィネの造花を売るようになった。
 やがてブリッジは、わたしには見えない村娘カラティアと恋に落ち、結婚をした。わたしは行商人の仕事をブリッジに任せ、大工仕事に精を出して家を増築し、大浴場までこしらえて、新たな家族を迎えた。
 ブリッジとカラティアはふたりの子供を授かった。信じられないことに、孫息子のセミブリッジは、ブリッジには四分の三が、妻とカラティアには半分が、わたしには四分の一しか見えなかった。孫娘のセカンドセミブリッジは、ブリッジには四分の三が、妻とカラティアには半分が、わたしには四分の一が見えなかった。
 その間、村は透明人間の住む村として世に知れわたり、大勢の観光客が訪れるようになった。大人になったセミブリッジは、観光客のひとりである不透明な女性ノントランスペアレントをめとった。セカンドセミブリッジは、村の長の透明な息子とよその町からやってきた不透明な女性とのあいだに生まれた男性セミトランスペアレントと結婚した。そこから生まれたひ孫たち、セミセミブリッジ、セカンドセミセミブリッジ、サードセミセミブリッジ、フォースセミセミブリッジなどなどは、わたしにはほんの少しだけ見えたり、まあまあ見えたり、けっこう見えなかったりして……。
 ついては、我が家自慢の大浴場にみなで入ったときには、論理遊戯を繰り広げることになった。
「ブリッジおじいちゃんはどこ?」
「その声は誰かな」
「セカンドセミセミブリッジよ」
「あ、たしかにほんのちょっとだけ見えたね」
「って、いまのはだぁれ?」
「たぶんカラティアおばあちゃんじゃない」
「そういうあんたこそ誰よ」
「ちょっと待って、いっかい整理しない?」
「あたし、フィフスセミセミブリッジ」
「セカンドセミセミブリッジだよ」
「いやつまり、ブリッジはどこなわけ」
「あれ、カラティアは?」
「デルフィネ、わたしはここだよ」
「ええ、もちろん知ってますよ」

次回は、6月中旬更新予定。

Writing

石川 宗生(イシカワ ムネオ)

'84年千葉県生まれ。'16年「吉田同名」で創元SF短編賞を受賞。'18年、受賞作を含む単行本「半分世界」でデビュー。

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