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物語を愛するすべてのひとたちへ-小説すばる

素晴らしき第28世界 石川宗生 ショートショート

『半分世界』で話題の新鋭が紡ぐ、鮮烈なショートストーリー。
本誌とウェブ、それぞれ異なる作品を毎月掲載。

恥辱

 近々、大洪水が起こり、すべての肉なるものを呑み込む。かような天啓がどこからともなく森にもたらされ、我々動物たちを震撼させた。一堂に会し、洪水の回避手段について模索したが、妙案は生まれなかった。造船したくとも、我々の手足は物作りには適していなかったのだ。
 懊悩を極めていたところ、一匹のイヌが、ヒトの一族が巨大な木造船の建設をはじめたという知らせを持ってきた。行けば、たしかに森の僻地の開けた広場でヒトの群れが木を組み立てていた。有事の際は同船させてくれないかと頼み込むと、ヒトの家長はひとつ交換条件を出してきた。「わたしたちは船づくりで手がふさがっているので、きみたちは資材と食料の調達を担ってくれないか」我々は命が助かるならばと快諾し、ほうぼうに散った。ゾウやカバは突進を繰り返し、額から血を流しながら巨木を倒した。ネズミやリスが前歯を摩耗させながら倒れた幹をかじり分け、シカ、バイコーン、ウマが昼夜兼行で運搬を担当した。イノシシやブタは木の実や野菜を届け、インコやペリカンはブドウの果汁をくちばしにふくませて空を飛んだ。果汁は道すがら発酵し、保存用の陶器の器に注がれるころにはヒトをとりこにする酒となっていた。
 支援の甲斐あって、一週間ほどで船が完成した。おびただしい数の家を継いで接いだかのような途方もなく巨大な構造物で、三層に分かれており、上層には鳥類が積まれ、中層は食料貯蔵庫とヒトの居住空間、下層には四足獣を詰め込む予定になっていた。繋ぎ目は松ヤニと瀝青でコーティングされ、水一滴入り込めないつくりになっていた。
 ヒトの一族は大勢の親類を呼び寄せ、竣工式を兼ねた宴を催した。我々が運び入れた食料をたらふく食べ、ブドウ酒を浴びるように呑んだ。たいまつを焚いて夜を締め出し、ぬらぬらとした狂気の踊りを舞って、たびたび船室に閉じこもってひそやかな肉の宴を開いた。その間に我々も続々と集結しはじめ、周囲を賑やかに飾った。サルはこぞって手拍子をし、マンティコアはかわるがわる動物を乗せて無邪気に駆けまわり、ユニコーンはゴリラが投げる果物を次々と角に刺してみせた。シロクマやペンギンやトリトンまでやって来て、見慣れぬ陸生生物に囲まれぎこちなさそうにしながら、見よう見まねに吠えたりはやしたりした。その場にすがたを見せなかったのは純然たる海生生物ぐらいのもので、カモメやカメが頻々届ける洪水の予兆に翻弄される陸生生物の伝聞を、他山の出来事として楽しんでいるとのことだった。
 三日後の真昼間、黒雲が空を覆い、雨が降りだした。はじめは霧雨程度だったが、すぐに勢いを増し、一滴が地上に着く前に一滴に追いつくようになって、やがて空が決壊したかのように峻烈を極めた。森の葉が打楽器のように打ち鳴らされ、そこらじゅうがぬかるみと化し、大河がのたうちまわって岸辺に泥水の牙をふるった。ヒトはすぐさま船に乗り込み、すべての船窓を閉じた。我々も船の前に列をなし、豪雨に打たれながら乗船のときを今かいまかと待ちわびたが、ヒトの雄たちが舷梯の前にずらりと並んで入り口を封鎖し、大弓の矢尻を我々に向けた。「全員を乗せるわけにはいかない」とヒトの家長は告げた。「この船の容量にはかぎりがある。乗船の許可は種ごとに二匹ずつ、雄雌のつがいのみに与えたい」
 我々は憤慨した。約束が違う。身を粉にして資材を運んだのに。この船はみなの共同財産だろう。あたりは騒然としたが、ヒトの家長は毅然たる態度を崩さなかった。「繰り返し、乗船できるのは各種族、雄雌のつがいのみだ。これは天命であり、巨人ネフィリムであれ動かすことはかなわない。つがいは誰であろうとかまわないので、きみたち自身で決めてもらいたい」
 我々は怒号をあげた。であれば、お前らもつがいでなければ道理に合わないだろう。まったき差別だ。神気取りか。地団駄を踏み、ばちゃばちゃと水しぶきをあげた。いきり立った一部の動物は力ずくで乗り込もうと舷梯に押し寄せたが、ヒトは躊躇なく次々と矢を放ち、斧で首を切り落として屍の山を築いた。
 突然の蛮行に、我々は言葉を失した。憮然と立ちすくみ、くずおれ、泥にまみれ慟哭した。と、不意に血気盛んな一頭のツキノワグマの雄が大呼し、ヒトに向かって振りかざしたはずの爪をかたわらにいたツキノワグマの雄の脳天に下ろした。叫喚とともに鮮血が噴き出し、ばったり絶命した。それを手始めに、なし崩しにツキノワグマの雄たちが殺し合いをはじめた。肉を切り裂き、腕を吹き飛ばし、目玉に爪を食い込ませ水晶体を粉砕した。我々の必死の制止もむなしく、刹那の勝負が連鎖的に引き起こされ、瞬く間に一頭の雄だけが残された。勝者は肉感ある魅惑的な一頭の雌を指名し、舷梯をのぼった。ヒトも道をあけ船内に入れてやった。二頭のツキノワグマはうしろを振り返りもしなかった。残された雌のツキノワグマたちは泣き叫びながら樹木に爪を立て、幹の皮をばりばりと剥がし、ついにはのどを掻き切って命を絶った。
 これを見たほかの種族も、息せき切って同士討ちをはじめた。彼らの焦燥を掻き立てたのは雷鳴だった。雨脚は強まるばかり、足下は沼地と化し、大河の氾濫が目前に迫っていた。そして”種”の曖昧さもあった。たとえば、ヒトの言うクロヒョウにも耳の形が半円だったり三角形だったりとさまざまな違いがあり、それに伴い身体能力から獲物の嗜好まで微妙に異なり、我々からすれば歴々たる別種なのだが、ヒトからすれば”クロヒョウ”でしかなかったのだ。ミコブラクダやゴコブラクダやハチコブラクダもいたというのに、ヒトはフタコブ以上は同類と見なし、フタコブの雄雌のつがいが乗船するが早いか、フタコブ以上のラクダから入船の権利を剥奪したのである。彼らの失望は甚大だった。同族殺しの大罪まで犯したのに乗船を拒否されたのだ。呵責と絶望のあまりそろって泥に頭を突っ込み、自死を遂げた。
 かくなる認識のずれを知ったほかの動物たちは、さらなる焦燥感に駆り立てられた。こうしているあいだにも、ヒトが自分の種と同断と見なす種のつがいに乗船を許可し、知らぬ間に自分の権利が失われているかもしれないのだ。一刻も早く乗船しなければならない。こうして殺戮は過激さを増した。気が触れたように枝角をぶつけ合い、絡み合い団子状態となってたがいを絞め殺し、首に噛みついて一斉に落命した。殺し合いに夢中になり、降りしきる豪雨が間仕切りとなったこともあいまって、気がつけば一頭を残して全滅していた種もあった。
 ややあって、虐殺がやんだ。血と泥のたまりに立っていたのは、殺戮に参加せずただただ震驚し、失禁して、悲嘆に暮れていた動物だけだった。その合間に、ヒトの雄たちは船の前に散乱した肉塊を雨水で洗い、陶器の器に詰め込み、船内に運び入れた。そして家長は、船内にはまだ若干の余地があると告げた。「わたしたちとしては、ひとつでも多くの種を救いたいというのが正直な気持ちである。とはいえ、猶予はもう幾ばくもない。そこで、もしきみたちが種のつがいの選別に困っているのであれば、迅速化のためにわたしたちが審査役を買って出よう。たとえば、なにか分かりやすくアピールをするというのはどうだろう。面白い一芸をしたり、すてきな歌をうたったり、なんでもいいからわたしたちの目に留まったら乗船の許可を出すことにしよう」
 真っ先に異を唱えたのは気高いケンタウロスであった。我々を凌辱する気か、と声をかぎりに叫んだが、ヒトたちはなにも言わずにたがいに目配せして、かすかに首を振った。我々は瞬時に悟った。失格の烙印を押されたのだ。それを誰よりも早く、深く痛感したのはほかならぬケンタウロスであった。後ろ脚でぬかるみを蹴り上げると、声を振り立て舷梯に猪突猛進した。だが間髪を入れず矢の雨を浴び、全身から血を噴き出して泥だまりに倒れた。
 不穏な静寂が流れ、絶望の傀儡となった動物たちが出し抜けに舷梯の前に躍り出た。シマウマは縞模様の数で競い合い、チーターは泥のしぶきを飛び散らしながら誰よりも高く跳躍してみせた。クジャクは関節がいかれるまでめいっぱい尾羽を広げ、ゴリラは吠えながら四拍子、三拍子、変拍子とさまざまにドラミングしてみせた。そのリズムに合わせて、カナリアものどが潰れるまでさえずった。奸計に長けたサルたちはみずからの顔を草花の汁で色とりどりに塗り、または毛染めをして芸術性の高さを示し、ついでにそれぞれがまったくの別種であることまでしたたかにアピールしてみせた。ヒトは手をたたき笑いながら気前よく次々と合格を言いわたした。勝者は異性を一匹選んで乗船した。合格者が出るたび、捨て鉢具合もいや増した。ライオンはたてがみを噛み切り、全身泥まみれになってヒトの前に突っ伏した。ネコはヒトの足下にすり寄り、甘い声で助命を請うた。キウイなど一部の鳥たちは決死の覚悟で羽をもぎ取り、飛べない鳥という逆説でヒトの興趣を湧かせた。カメレオンはヒトの要望に応えて身体の色をさまざまに変化させ、オウムはヒトのしゃべった言葉を繰り返し追従に終始した。我々は相次いでヒトに帰服してゆく同胞に底知れぬ憤怒を覚えた。それと同時に、たとえわずかでも、自分たちもまたすべてをかなぐり捨てでも助かりたいと想ってしまったことに耐えがたい恥辱を感じ、同胞が無様に踊り狂うさまを歯を食いしばりながら見つめた。
 そのとき、空が落っこちてきたかのような轟音が鳴りわたり、鉄砲水が押し寄せてきた。木々が根こそぎなぎ倒され、ヒトは船内に逃げ込み、入り口をかたく閉ざした。取り残された我々は離ればなれにならないように手をつなぎ、しっぽに噛みつき、体毛をつかんだ。夢魔、セイレーン、グリフォン、ラミア、ウロボロス、バニップ、スレイプニル、ドラゴン、ヌエ……。たがいに不屈の矜恃をたたえながら、濁流に呑み込まれた。
 黒雲は厚みを増し、空にしっかとふたをして、闇と雨が大地を支配した。気温が急低下し、水面からは白い湯気がもうもうと立ちのぼった。木の葉の堆積や流木が幻の迷宮に迷い込んだようにぐるぐるまわり、高みの見物を決め込んでいた水生生物の一部も荒れ狂う水流に翻弄されていた。泳ぎの得意な人魚すら溺死し、腹を膨らませ浮かんでいた。空に逃げた鳥たちも鉛の雨粒に撃たれ、激しく落下し水面を波立たせた。
 一日と経たないうちに平地、森、山が沈水し、湖や海も大いなる水に没した。世界は裏返り、一艘の巨大船舶がこの世のすべてとなった。ときおり船窓が開かれ、闇に沈んだ水面を煌々たる明かりが照らし出した。我々はそこに新世界の片鱗を垣間見た。ヒトの雌たちが陶器の器から取り出した肉を燻製にしたり塩漬けにし、また石鹸や灯油をつくっていた。なめしたヤギやウシの革を身にまとい、床に敷いたヒョウやクマの毛皮に寝転がっていた。昼夜を分かたずブドウ酒に酔い、肉をむさぼり、きりなく交わって数を増やしていった。食べるものが少なくなると船に乗せた動物たちを解体し、宴を継続した。動物たちは第二次、第三次審査に合格しようと躍起になっていた。浮き世離れした壮麗なメロディをうたい、至福の光輪のごとくヒトのまわりを走りまわってこびへつらった。それでも殺された。食べられないものとして疫病にかかったふりをし、擬死を演じて、それでも殺された。唯一、イヌだけがヒトの居住空間で共生する特権を与えられているようで喜ばしげにしっぽを振り、ヒトの垢や汗を舌で舐め取っていた。
 そのさなか、水面は無数の死体で埋め尽くされていった。我々もまた衰弱し、一匹一匹と同胞を支えるための水死体となり、ひいては同胞を生き長らえさせるための糧となった。死にゆく者の望みはただひとつ、ヒトに一矢報いること。それを叶えるべく、我々は波のまにまに漂いながら、船窓が開かれるたび射るがごとき炯眼を送った。やつらもまたこちらの存在に気がついており、様子を探るために船窓を開けていることを我々は知っていた。だから我々は同胞の屍を喰らってでも生き長らえるのだ。睨みつけ、やつらが我々の審査に失格したことを知らしめるために。憎悪に歪んだ我々の異様をやつらの網膜に焼きつけるために。船室の片隅に巣くう暗がりや天井の木目の模様に、我々の敵意を浮かび上がらせるために。悪夢に棲み着き、すこやかな眠りを妨げるために。言の葉の上で未来永劫の生を獲得し、増え広がって、末代まで震え上がらせるために。死よりもおそろしい報いを受けさせるために。ただそのときを夢見て、今この瞬間を生き続けるのだ。

Writing

石川 宗生(イシカワ ムネオ)

'84年千葉県生まれ。'16年「吉田同名」で創元SF短編賞を受賞。'18年、受賞作を含む単行本「半分世界」でデビュー。

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