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物語を愛するすべてのひとたちへ-小説すばる

素晴らしき第28世界 石川宗生 ショートショート

『半分世界』で話題の新鋭が紡ぐ、鮮烈なショートストーリー。
本誌とウェブ、それぞれ異なる作品を毎月掲載。

一〇〇万の騎士

 真夜中、はっと目を覚ます。星のまたたき、野バラの香りと孤独な犬たちの遠吠え。けれど、頭にこだまするのは今もなお夢。鐘の音。

 鐘。はじまりはいつも早鐘。幾千の呪いが降りそそいできたかのような悲鳴が沸き立つや、かつてジャガイモの貯蔵庫として使われていた地下室の扉を開ける。扉は床の木目とおなじで、一目見ただけでは扉と分からない。石階段とかび臭い冷気、地下室の底に薄ら寒い静けさが沈殿している。静寂は目や鼻や口のなかにまで入り込んでくる。色と形をぼかし、においをぼかし、味と水気をぼかす。でも、静寂はいつだって完璧にはなれない。包丁を大事そうに抱きかかえたおかあさんのため息や、おとうさんの衣擦れの音もかすかにまじっている。おばあちゃんの茶色いぼろの靴下が放ついやなにおい、湿っぽい腐った歯のにおいも。「いいこ、いいこ、心配しなくても大丈夫だよぉ」おばあちゃんがわたしをそっと抱きかかえ、左右に揺り動かす。わたしはおばあちゃんの目尻に唇をあて、こぼれ落ちる涙をちゅうちゅう吸う。ああ良い気持ち、しおっからさが口のなかの静寂を和らげてくれる。

 深い静けさの底、おかあさんは、騎士はおよそ一〇年前からこの村に来襲するようになったと言っていた。おとうさんは、そんなの覚えてないなとそっぽを向いてしまった。おばあちゃんは一〇年以上前からだと言っていた。「あたしがまだあんたぐらい小さかったときから、たまにやって来たんだ。ここまで頻繁じゃなかったけどね。そうだねぇ、あっても一〇年に一度ぐらいじゃないかね」
 もっとも、おばあちゃんは信用がおけない。わたしを残して死にはしないと約束しておきながら、死んでしまったのだから。
 大人は信用ならない。騎士が来るのはミヤマガラスが五回連続で輪を描いた日から三日後だという人もいる。三回目の真っ赤な満月の日だという人もいる。収穫期には必ず三回やって来るという。収穫期には必ず一回やって来るという。「女みたいなかんしゃく持ちってわけだよ」とおとうさんがせせら笑う。「あぁ、わたしたちの気も知らないでね、まるで男みたいに自己中心的なんだから」とおかあさんが腹を立てる。
 ふたりは、わたしが口にでもしたらすかさず拳固を落としてくるような罵り言葉をぶつけ合う。おとうさんが平手打ちを食らわせ、おかあさんは脚のとれた木の椅子を放り投げる。理由なんてなんでも良いのだ。突っかかって、傷つけたいだけ。やめて、やめて、お願いだからもうやめて! わたしは泣きながらふたりのまわりをうろちょろする。「こっちに来るんじゃない!」「あっちに行ってなさい!」おかあさんが包丁をぶんぶん振り回す。おとうさんが空を飛びたがっているみたいに両手をばたばた振る。わたしは部屋の片隅で手招きをしているおばあちゃんのかたわらにしゃがみ、膝元にぽっかり空いた空間に身体をうずめる。「こうすればいいんだよ」とおばあちゃんがわたしの両耳を手でふさいでくれる。「ほらね、世界がうんと遠のいた。もうみんな、静けさの向こう側だ。手と耳はこのためにあるんだよ。だからおなじ数なんだ。数には意味があるんだよ。いいや、なんだってそうさ。物事にはぜんぶ意味があるんだ」
 でも、騎士の略奪に意味なんてあるのだろうか? おとうさんがいなくなったこと、エミールが死んだことには?
「こわいときは、いろんな言葉をつなげていくんだよ」静寂の向こう側からおばあちゃんの声がする。「七つの耳、青い砂利、昼間をため込んだ貝がら、テントウムシの朝露、ダイヤモンドの屋根、燃える壁。ほらね、あんたはもうここにいない。言葉が増えれば増えるだけ世界が広がっていく」
 三日月を結ぶ木、草木のない原っぱ、リンゴの鐘、ごぉん、ごぉん、ごぉん!

 鐘の音がふたたび鳴り響き、地下室から出る。騎士が去ったあとの家は攪拌されたサラダみたい。だいたいの家具が壊れて、略奪されている。わたしたちは真っ先に家の前の地面を掘りかえす。地中に埋めたつぼに金目のものや食料を隠しているのだ。けど、ときに騎士はそれさえも掘りかえして奪ってしまう。こまめに場所を変えても、いつかは探り当てられる。それでもやらないよりはましだから指先を土色に染めて埋めては掘りかえす。つぼのふたを開けたとたん「あったわ、あったわよ!」だなんて、おかあさんは元からあったものがあったことに大喜び。するとおばあちゃんが部屋の片隅で笑い声をあげる。ひっひっひ。
 家の補修に取りかかる。土壁のひび割れや穴に木板をあてがい、泥を塗る。窓枠に木の板を打ちつける。ただそれだけ。修理の道具も材料も乏しいし、もともと直すものなんてほとんどないから。「はじめっからなければ壊される心配もないからよ」とおかあさんは言う。「あたしに歯がないのも、それとおなじことなんだよ」とおばあちゃんが笑う。

 ひっひっひ。

 おばあちゃんはあんまりものを食べなくても平気だけど、おかあさんとおとうさんはあんまり平気じゃない。わたしはもっと平気じゃない。大きくなるには、ものをたくさん食べなくてはならない。だからわたしはよくおとうさんと食べものを探しに森へ出かける。ずっと前は田畑もあって家畜もいたけど、騎士に荒らされ殺されるからだれもやらなくなったのだという。
 森は豊かで、夏にはたくさんの実がなるけど、町じゅうの人間が採りにくるのですぐになくなってしまう。わたしは仕方なしに、やわらかそうな木の皮をべりべりはがしてかごに入れる。新芽をむしり取ってかごに入れる。「これなんか食べられそうだぞ」とおとうさんがブナの木の根元に生えていた赤いびらびらのキノコを採る。黄色い花も、丸っこい根っこも、褐色の草も。でも家に帰るなり、おかあさんがかごを外に放り投げる。「こんなもの食べられるわけないでしょ!」と包丁を振りまわす。おとうさんは包丁を遠ざけようとかごを振りまわし、キノコがぽんぽん飛んでゆく。赤っぽいのや青っぽいの、黄色っぽい点々がついたもの。空飛ぶキノコの家。砂金のつくつくぼうし、鍾乳石を彫るキツツキ。わたしはおばあちゃんの胸元にうずくまり、両耳をふさいでもらう。「このうちもあとすこしで壊れそうだね」と静寂の向こう側から声がする。「でも、壊れる余地があるだけましだよ。まだ壊れてないってことだからね」

 町は壊れている。はなっからなければ壊される心配もないから、もうずっと。井戸の滑車が外れ、石畳はほとんどがめくれ上がっている。パン屋の看板が蔦に覆われている。玄関扉が朽ち果て、暗い口をぱっくり覗かせた廃屋が連なっている。教会跡の尖塔の先っちょでコウノトリが巣をつくっている。でこぼこの道に犬っころの骨が転がっている。ちょん切れた人の手が転がっている。服を切り裂かれて、のどを切り裂かれた女たち。赤ん坊が返事のない泥だらけの乳房を吸っている。町の人たちはそれが誰であれ、死体を見つけるなり埋葬してあげる。鐘を鳴らして、また誰かが死んだことを教えてあげる。

 ごぉん、ごぉん、ごぉん。

 鐘が鳴りわたり、住民が広場にぞろ集まって、贈りものも棺もない、ただ埋めるだけの葬儀がはじまる。わたしのかたわらにほかの子供たちがやって来る。「やっぱり、力をつけなくちゃ。エミールのところに行こう」
「そうだ、エミールに会おう」
「ぼくらのエミール!」
「あたしたちのエミール!」
「夢見るエミール!」
「殺し屋エミール!」
「偉大なる王エミール!」
「エミール! エミール! エミール!」
 町はずれの河原。洟をすすってばかりいる子。やせっぽちの子。目やにだらけの子。いろんな子が集まってくるけど、わたしたちの指導者、エミールはひときわみすぼらしい。両親を騎士に殺されて以来、河原に掘った穴ぐらで暮らしている。もともと何色だったかも分からないぼろをまとい、髪はぼさぼさ、とげとげした種や枯れ草が絡みつき、ノミがたくさん跳ねている。エミール自身もノミみたいに威勢が良い。ぴょんぴょこ跳ねて、誰も届かない高所のマンゴーも取ってしまう。手製の弓でウサギやネズミを射止め、火であぶりもせずに食べてしまう。騎士が去ったあとの町を鳥の影のように人知れず駆けまわり、金を見つけては懐に入れ、ワイン樽に頭を突っ込んで酔っぱらう。廃屋からどっさりかき集めてきた本を掘った穴に保管し、干し肉をかじるようにして日々読んでいる。本は干し肉よりも豊かな滋養にあふれていて、骨や血肉がエミールという輪郭を満たしているのとおなじように、エミールという存在を隅々まで満たしている。
 こんにちは、物知りエミール。
 我らが救世主。
 尊き殉教者。
「諸君、ぼくらは一刻も早く大人にならなくちゃいけない」と大きな岩に立ったエミールが演説をする。「騎士たちはその気になればこの町ぐらい簡単に壊滅させられるのに、ぜんぶを奪ったり壊したりしない。いつもある程度、再生の余地を残すんだ。そしてまたちょっと育ってきたら、刈る。その繰り返しだ。でも、ぼくらにはこの理不尽から町を守ってやる術がない。ぼくらには圧倒的に力が足りない。そして力をつけるには、大きくならなきゃいけない。ぼくらはあまりにも小さすぎる」
「でも、どうしたらいいの」
「まず、数をかぞえるんだ。かぞえれば時が進む。時が進めば、おおきくなる。つまり、一〇〇万かぞえるころには大人ぐらいおおきくなってる」
 だからわたしたちは四〇九四、四〇九五、四〇九六とかぞえ、一センチ、二センチ、三センチとわたしを積み上げてゆく。三万二三八、三万二三九、三万二四〇と、季節のめぐりを良くする。「乳と蜜の流れるところを求めて我いかん」とエミールが本から引用した言葉を唱えながら、野っ原を歩きまわる。エミールは目のバケツでもって本から言葉を汲み取り、声のバケツでもってわたしたちに注いでくれる。それでもまだ足りない。すこしでもはやく大きくなるために、イナゴだってカエルだって食べられるものはなんでも食べる。いも虫だって、セミの抜け殻だって。うぇっ。うぐぐぐぐぐぐ。「泣くな! ぼくらは大きくならなきゃならない」エミールはミミズをちゅるるっとすすってみせる。「なんでも食べるんだ、なんでも糧になるから」エミールはてのひらいっぱいの泥をほおばってみせる。「騎士に打ち勝つためには力をつけなくちゃいけない」エミールは白っぽい石をがりがりかじってみせる。「そうだ」「分かった」「そのとおりだ!」わたしたちはミミズを口のなかに放り込み、くちゃくちゃかむ。うぐ、うぐぐぐぐ。

「どうして大人は騎士に抵抗しようとしないの」
「もちろん、したわよ……。でも、無駄だったの」
「ホントにぜんぶためしたの? 防壁を築いたり、方陣を敷いたり」
「……どこで憶えたの、そんなこと」
「……ぜんぶためしたの?」
「ためしたわ。でも、無理だったの。仕方のないことなのよ。ぜんぶ仕方のないことなの」おかあさんは寝返りを打つ。
 わたしは知っている。大人はぜんぶ試してなんかいない。なぜならエミールはやってのけたから。河原にいくつもの落とし穴を掘り、底に木製の鋭いスパイクを仕掛けておいた。こんな単純なことで、騎士を捕まえたのだ。騎士はおしりと腿にスパイクが刺さり、身動きひとつ取れないでいた。脂汗をにじませ、ぜいぜい息を切らしながら、見たこともない激しい空色の瞳でわたしたちを見上げている。
「騎士にはいろんな種類がいるんだ」とエミールは背中の矢筒から石の矢を取り出す。「言語が違えば、顔形も、甲冑も違う。チェインメイル、ブリガイダイン、レザーアーマーまでいろいろだ」
 弓をきりきりと引き絞り、騎士の首を射貫く。騎士は血を吐き、びくびくけいれんする。うなだれる。エミールは穴の底に滑り降り、騎士の頭を蹴飛ばして、死んでいることを確かめる。鎧の板金、鎖帷子、兜、盾、甲冑、小手、物の具の切れ端、ぼろの下着をはぎ取り、穴の外に放り投げていく。わたしたちはかわるがわる甲冑をつけてみる。ぶかぶかで、おばあちゃんでも背負ったみたいにずっしり重い。汗と小便のまじりあった悪臭がする。騎士のにおいかもしれないけど、わたしたちのかも。たぶんその両方。
「このとおり、工夫を凝らせば騎士だって殺せる。でも、こんな姑息な手段じゃ意味がない。ぼくらが必要なのは、真っ正面からぶつかって打ち勝つ力だ」

 おかあさんは力をつけたりしない。おとうさんにかわって、わたしと一緒に森に食べものを採りに行くとき以外は家から出ない。包丁を抱きかかえて床に寝そべっているか、掃除をしてばかりいる。クモやテントウムシやハエの死骸、干からびた蝶々の羽、土埃、木のくずをほうきで掃き出す。でも、土壁はひび割れや隙間だらけで、吹き込んでくる風が掃き出したものをもとに戻してしまう。「この家は自然の掃きだめだよ」とおかあさんは嘆きながら掃く。きっと自然はおかあさんの頭のなかにもたまっている。隅っこでまるまっていたおばあちゃんもほうきで掃き出そうとしたのだから。「いやだね、あたしだよ」とおばあちゃんは落ちくぼんだ目をぎょろりと向ける。「かなわないね、やめておくれよ」おかあさんはそれがおかしかったらしくて、ほうきの柄に寄りかかりながらあっははははって大笑いする。わたしまでなんだかおかしくなってきて、あっははははって床の上を転げまわった。おばあちゃんだけが口元にでっかい真っ暗闇の穴ぼこを開けて、「やだね、あたしだよ」
 でも、おかあさんは掃除をやめない。結局、あっははははと笑いながらおばあちゃんを外に掃き出してしまった。風はクモの死骸を押し戻しても、おばあちゃんは戻してくれない。

 真夜中、はっと目を覚ます。おばあちゃんの口によく似た暗い天井。クモの巣。ひんやりしたすきま風。「どうしたの」とかたわらでおかあさんの声がする。
「家が壊される夢を見たの。騎士が壁を打ち破ってきた」
「そう」
「柱もまっぷたつに割られて、屋根が落っこちてきた。もうみんな、ぺしゃんこ」
「そう」
「わたしたちは、どうしてここに留まり続けなくちゃいけないの? この世界はすんごく広いんだって、友達が教えてくれたの」
「仕方ないことなのよ……。ここはわたしたちの生まれ育った土地だから。ほかに行く当てなんてないから」
 おかあさんは肩をふるわせ、しくしく泣きだす。あったかい涙。止め処なくあふれ出てくる。おかあさんは自然の湧き水なのだ。仄暗い地下水脈や光のしぶきに覆われた海につながっていて、果てない旅路を経てわたしのもとにめぐってくる。だから「ごめん、ごめんね、ありがとう」と頭を撫で、涙をちゅうちゅう吸ってあげる。「わたしがおかあさんを守ってあげるから、わたしがいまにもおっきくなって、いろんなものをおかあさんに持ってきてあげるから」

 ものを得るために、わたしたちは落とし穴を掘る。騎士たちがどすん、どっすん、どすんと落っこち、スパイクに突き刺さって、穴は牢獄に早変わり。ひとつの穴に腹を空かした黒い犬を放り込んで手足を噛みちぎらせる。ひとつの穴にハチやアブを入れてふたをする。ひとつの穴に毒へびを放り込む。ひとつの穴を糞尿の海にする。ひとつの穴にぐつぐつ煮えたぎる瀝青をぶっかける、わたしたちはそれぞれを指さして、あっはははは。ひとしきり笑い転げたあとで、しゃんと背筋を伸ばし、まだ息のある騎士ののど元目がけて弓矢を放つ。四方から一斉に射るから、大気が身震いしたかのようにびゅんびゅんうなる。騎士が絶命したら、穴におりて騎士の持ちものをあさる。革の水筒、食べかけの干し肉。きれいな蝶々のくし。きれいな器。きれいな紅のポートワイン。たまに騎兵が馬ごと穴に落ちることもあって、捕らえた馬はなによりのごちそうになる。騎士の持ちものや武具は、エミールのねぐらだった穴のなかに隠しておく。ときどき甲冑をとりだして、つけてみる。六万二九七五、まだぶかぶか、七万一八三九、まだぶかぶか、八万九五二二、まだ、まだ。きたるべき日に備え、長剣の素振りを続ける。捕まえた騎士を木の幹にくくりつけ、みぞおちを長槍で突く。戦斧で首をちょん切り、胴の上に頭を後ろ前において、あっはははは。顔めがけて矢を放つ。右目に三五本の矢が突き刺さり、矢羽根の大輪が咲いたら、手に入れたゴブレットとはちみつ酒で祝杯をあげる。「エミールのために」
「エミールのために!」
 エミールのために、エミールが見た夢の続きを見る。虫けらを食べて、石をかじって、九万一二五九、九万一二六〇。本の埋まっている穴を掘り起こして、原っぱで輪になり目のバケツでたくさんの言葉を汲む。エミールはトンカチで叩き込むようにして言葉の汲み方も教えてくれたのだ。本のなかにはヒガンバナやツキヨタケみたいに毒の言葉を持つものがあって、そういうのをうっかり汲みでもしたら太陽が黄色に見えたり、世界最後の日に地中から死んだ人たちが這い出てきたり、腹下しよりも恐ろしい目に遭うことを教えてくれた。でもエミールはあらかじめ毒の本を焚き火にくべて、食べられる本だけを穴のなかに残しておいてくれた。だからエミールがいなくたって、エミールはいなくならない。エミールの食べていた草木や肉がわたしたちの輪郭をかたどってくれる。エミールの食べていた本がわたしたちの存在を満たしてくれる。わたしたちがわたしたちに敬礼。エミール! 「エミール!」

 真夜中、はっと目を覚ます。暗い天井。クモの巣。ひんやりしたすきま風。「どうしたの」とかたわらでおかあさんの声がする。
「みんな、いなくなった夢を見たの」
「そう」
「おとうさんは勝手に消えちゃった。ちょっと森に行ってくるって家から出ていって、それっきり」
「そう」
「おばあちゃんはトイレで死んでた。扉が開きっぱなしだった。パンツに片足だけ突っ込んで、だぶだぶのおしりにたくさんしわが寄ってた。おしっこも漏らして、頭から血を流してた」
「……」
「エミールも。穴の底で、騎士と寄り添うようにして死んでた。短刀を首に刺されて。騎士がもう死んでると勘違いしたんじゃないかな。それで穴におりてみたら、短刀でぐさり。でも、笑ってた」
 おかあさんはいつものように泣きはじめる。
 わたしはおかあさんの頭を撫でてあげる。「わたしがおっきくなったら、ママを守ってあげるからね。大丈夫、すぐに大きくなるから」ごめん、ごめんね、ありがとうと思いながら、おかあさんの左右の目尻に交互に唇をあてる。「いっぱい数をかぞえるからね……」と涙を吸う。「そしたらもうあっというまに大人だよ……」大きくならないといけないから、おかあさんの涙だって必要なの。「九万八七六六」だからいっぱい泣いてちょうだい。「九万八七六七」ねぇ、また夢を見たの。「九万八七六八……」

 ちょうだい、千の涙を
 それから万、続けて万、万と万
 二八万の陽気な子ヘビが
 四九万の金の麦をつっつき
 六八万のたぎる太陽から
 八一万の星月夜を搾り取れば
 一〇〇万の甲冑が涙で満たされる
 ね、あっというま
 もう騎士だって追い返せる
 次はからっぽの家を埋めなくちゃ
 大丈夫、涙を吸わなくとも
 よそから吸い取ってきてあげるから
 さあ、旗幟を鮮明に
 荘園から城へ、主従の結びを固くして
 旗幟はそのままに
 戦地から戦地へ、騎士の冠を我がものに
 旗幟を変えながら
 武勲詩から史詩、散文から戯文を謳い歩き
 あまい乳と蜜で古今空白を潤さん

 真夜中、はっと目を覚ます。星のまたたき、野バラの香りと孤独な犬たちの遠吠え。うつらうつらしているあいだに空が白みだし、赤やだいだい色や黄色の雲が広がってゆく。白湯をすすり、水晶の朝露を結んだ鎧をまとい馬に乗る。平野の向こう、朝もやを透かして浮かび上がった町並み。立ちのぼる幾筋もの煙。営みの徴だ。
 わたしは左右に居並ぶ騎士たちを見、蒼天に剣をかかげる。
「我らが母のため、エミールのために!」

Writing

石川 宗生(イシカワ ムネオ)

'84年千葉県生まれ。'16年「吉田同名」で創元SF短編賞を受賞。'18年、受賞作を含む単行本「半分世界」でデビュー。

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