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物語を愛するすべてのひとたちへ-小説すばる

素晴らしき第28世界 石川宗生 ショートショート

『半分世界』で話題の新鋭が紡ぐ、鮮烈なショートストーリー。
本誌とウェブ、それぞれ異なる作品を毎月掲載。

次回は、2019年1月中旬更新予定。

ミランダの園

 地元の名士マイクル・アップルヤード氏の園には、万華鏡のような色とりどりの世界が広がっている。ワックス・フラワー、スコエニア、セルリアと、日頃より同氏みずから手入れしている草花が爛漫と咲き乱れ、ミツバチ、オオルリアゲハ、ベダリアテントウが引っきりなしに飛びまわっている。木の幹に取りつけられた木の巣箱ではメンフクロウが巣作りをし、餌箱には朝も早くからオウギバト、クロジ、コセイガイインコが飛来する。園の黒門が開かれるやいなや、わたしたちも飛ぶようにして二階のウッドデッキに詰めかける。
 お目当ては植物でも虫でも鳥でもない。
 ミランダだ。
 わたしたちが今かいまかと待ちわびていると、孤独な突風のようになんの前触れもなく滑空してくる。もう諦めようと重い腰を持ち上げた瞬間、雲の切れ間から差し込む一条の光に包み込まれるようにしてふんわり舞い降りてくる。

 ある者は、ミランダは美の権化だという。またある者は、見る者の美しき思い出を映す鏡だという。
 あえて「美」という言葉を借りずに描写すれば、色白の四肢はしなやかでほっそりしている。陽の光をちりばめたような白みがかった長い髪の毛で、背中には身体よりもひと回り大きい乳白色の翼が生えている。瞳は草花たちが色褪せて見えるほど深いモカ色。控えめな薄い唇は、園に咲くトレニアの花びらを思わせる。
 それでもある者は、美の比喩はすべてミランダのために発明されたのだという。またある者は、ミランダを表現するには新しい言語の開発が必要だという。アップルヤード氏はなにも思いつかないと言って、嘆息を漏らす。

 ミランダはいつも園の中央にある開けた円形の広場に着地する。翼を折りたたみ、ペトレアの鉢の真横に置かれた白いオーク材の丸テーブルに目を止める。卓上にはコルクのコースター、アイスコーヒーと氷の入った硝子のグラス。白と青のストライプのストローはすでに先端が折れ曲がり、飲み手を迎え入れる準備が整っている。
 ミランダは音を立てずに椅子を引く。背もたれは使わず、浅く腰を掛ける。戸惑いとも喜びとも取れる表情を浮かべながら、小池に揺らめく月明かりのように目だけを動かしてあたりの様子を窺う。

 ミランダの装い。ゆったりとした服を好んでいるのか、ロングスカートやロングブラウスの類いを着ていることが多い。よく見かけるのは、青空を切り取って仕立てたかのような淡い青色のワンピース。布製のクリーム色のトートバッグを提げていることもある。全体の色調は白や水色などの淡いパステルカラーが多めで、その日の服装に合わせて靴の色も変えている。
 日差しの強い日にはチョコレート色のサングラスをかけてくる。高い鼻柱によく似合うが、その艶やかな目が見えないだけで、太陽が雲に隠れてしまったかのようにアップルヤード氏の表情も陰る。

 細い指先がグラスの表面についた水滴をなぞる。しずくとしずくが合わさって、つーっと流れる。きらめき。グラスを手に取り、ストローを口元に運ぶ。飲んでいることをゆめ感じさせない不動の姿勢で、真向かいのスイセンに目を向ける。スイセンはミランダの肌の白さに萎縮しているかのように項垂れている。視線はアスクレピアス、ダリア、ビリーボタンと花から花へ移ってゆき、やがてどこでもない緑の生け垣の一点に漂着する。
 時が凍りついてしまったかのように思えたそのとき、ゆるやかに吹き渡ってきた風が髪の毛をそっと揺らす。

 グラスが空になると、ミランダは音を立てずに椅子を引き、翼を広げる。とんと大地を蹴り上げ、飛翔する。徐々に小さくなり、ついには点となって消える。あとには白い羽根が落ちてきて、天高く舞い上がるわたしたちのこころとすれ違う。

 はじまりは初夏の朝。
 アップルヤード氏が読書を楽しもうと園の丸テーブルにアイスコーヒーを用意し、トイレから戻ったところ、いつのまにかミランダが椅子に座り、アイスコーヒーをひっそり飲んでいたらしい。その清純なすがたに魅せられた同氏は、それから常に切らさずアイスコーヒーを用意し、二階のウッドデッキから眺めるようになった。そして寛大な同氏はやがて、こんなにも可憐なミランダを独り占めするのはもったいない、ぜひ皆々にも一目見てもらおうと思い立ち、この園を一般開放したのだそうだ。
 はじめは誰もが半信半疑でウッドデッキに足を運んだが、去るころには誰もが疑心を抱いたことを恥じていた。

 ミランダの来園頻度はまちまちだ。日に何度も来ることもあるし、連日来ることもあれば、数日間すがたを現さないこともある。それでも、一週間以上すがたを見せないことはまずない。天候に大きく左右される印象で、晴れの日は期待大、小雨程度なら脈あり、大雨は望み薄。
 だが、土砂降りの雨の日でも、アップルヤード氏は丸テーブルのわきに大きなビーチパラソルを設置し、わたしたちとともにウッドデッキで傘を差しながら待つ。するとごくまれに、パステルカラーの傘をパラシュートのように広げ、ふわふわ降りてくる彼女のすがたを拝めたりもする。

 最近のアップルヤード氏。こまめにテーブルの位置を変える。ある朝は夾竹桃のそばに、ある夕暮れにはヘリクリサムのとなりに。
 ミランダはその都度近くの植物に目をやりながら、ストローを唇に添える。アイスコーヒーを飲むだけの日もあれば、その後、園をまわってから去る日もある。滞在時間は数分から一五分程度。大概、アイスコーヒーは飲み干すが、日によっては半分ほど残すこともあるし、気持ち程度に飲んでいくこともある。
 残ったアイスコーヒーはアップルヤード氏があまさずいただいている。

 最近のアップルヤード氏。ミランダがグラスに触らない日が増えてきたので、アイスコーヒーのかわりにアイスカプチーノを用意する。これまでと同様、ぬるくなったら冷蔵庫に入れ、冷やしておいたものに取り替える。
 ミランダが飛来する。テーブルの前で立ち止まる。きょとんとした表情でミルクフォームを見つめる。ほのかに眉をひそめ、目を周囲に配る。椅子を引き、ミルクフォームをすこし掻き混ぜ、ストローに口をつける。綻ぶトレニアの唇。グラスの縁に白い泡が残る。白い翼が広がる。からんと弾ける氷。

 ミランダは安穏とした雰囲気を身にまとっているが、ときおり周囲に向けられる視線からはいつ何時も警戒を怠っていないことが分かる。ほぼ間違いなく、わたしたちの視線にも気づいている。すこしでも大きな物音を立てたり、近づいたりすれば、つと飛び立ってしまうだろう。だからわたしたちはウッドデッキから決して離れず、ひっそり眺めることに終始する。
 実のところ、わたしたちの立てる物音のなかでアップルヤード氏の嘆息の音がいちばん大きい。その瞬間、ミランダはこちらに目を向けるや、翼をさっと広げて飛び立っていってしまった。一度ならず二度までも。

 最近のアップルヤード氏。エスプレッソ、カフェラテ、カフェモカ、チョコレートマキアートと日ごとに種類を変える。ミランダはほとんどを飲みほす。コーヒー系であればホットもよく飲むが、やはりアイスのほうが好みの様子。チョコレート系はあまりお気に召さないのか、半分ほど。

 ミランダの正体に関する有力な説は天使だ。わたしたちのあいだではテリエル、ラハミエル、ドンクエルなどの名が臆面もなく叫ばれている。
 だが実際には誰も本物の天使を見たことがないので、たしかなところはなにも言えない。翼を持った一般女性とも言えるし、一般女性の恰好をした天使とも言える。きれいな女性が翼を生やしているだけで天使と呼ぶのは早合点かもしれないし、見ようによっては悪魔ともハーピーとも、女性の身体をした不死鳥とも竜ともとれる。羽は飾りであって実は未知の反重力装置で飛行しているのかもしれないし、そもそも人間の女性に翼が生えていないほうがおかしいとも言える。
 アップルヤード氏は、ミランダはミランダだと言う。

 最近のアップルヤード氏。コーヒー豆はもちろん、ミルクの割合も変える。角砂糖、白砂糖、スティックシュガー、ダイエットシュガー、ミルク、ハチミツ、練乳まで用意するが、ミランダはおよそ手をつけない。手をつけるのは、ビスケットやクッキーの類い。

 ミランダは常としてもの静かだが、その振る舞いはむしろ堂々としたものだ。
 足を組み、頬杖をつく(わたしたちはため息をつく)。椅子の背もたれに寄り掛かり、しだれ柳を見上げる(わたしたちは空を仰ぐ)。トートバッグから手鏡を取り出し、化粧を薄く塗る(大天使とのデート、はたまた堕天使との情事か)。携帯電話でメッセージらしきものを打ち込み、ひそひそ声で電話をする(相手は翼を持った上司だろうか、女性の身体を持ったペガサスだろうか)。グラス片手に園をまわり、ランに鼻を近づけ、バラの棘をつんつん触る(つんつん触られたいと異口同音に言う)。ヒナギクの花びらを愛撫し、二羽のチョウチョウの戯れを見て、微笑む(アップルヤード氏も微笑む)。

 最近のアップルヤード氏。紅茶、緑茶、マテ茶、ハーブティーまで手広く用意するが、ミランダは見向きもしない。

 園に飛来するミランダはおなじように見えるが、その実、毎回べつのミランダが飛来している可能性もある。間近で見ればほくろの数や位置、髪の毛の縮れ具合が異なる可能性も考えられるし、そういったささやかな違いの一つひとつが、門ミランダ・綱ミランダ・目ミランダ・科ミランダ・属ミランダ・種ミランダとなるのかもしれない。女性のような見た目の男性ということも考えられるし、若く見えても一〇〇〇〇歳かもしれない。
アップルヤード氏は、ミランダはミランダなのだと言う。

 ミランダはときに澄み切った歌声を響かせる。
 ルルラララ。
 あるいは、ララルルル。

 なんとも言えないしなんとでも言えるので、アップルヤード氏がミランダと呼ぶ以上はわたしたちもミランダと呼ぶことにしている。いまではもうミランダ以外の名は考えられないし、アップルヤード氏はミランダ以外なにも考えられない。
 同氏がミランダをミランダと呼ぶのは、大昔に別れた恋人に目鼻立ちや雰囲気や仕草が、つまりすべてが似ているからなのだという。

 晩夏、空が灰色のしみのようにかげる。雨が降りしきるなか、ミランダが傘も差さずせわしげに園に舞い降りる。パラソルの下に入り、濡れた髪の毛の束を両手でしぼる。ブラウスとロングスカートはしとどに濡れ、薄黒く染まっている。椅子に座り、頬杖をつく。毛先からぽたぽたと水滴が落ちる。カプチーノには手をつけない。まぶたを閉じる。パラソルを打つ雨音にじっと耳を傾けているかのように。
 やがてわたしたちは気がつく。目尻からしずくが流れ落ちていることに、それが雨粒ではないことに。

 最近のアップルヤード氏。丸テーブルにアイロンのかけられた白いハンカチを用意する。種々の書籍を置く。

 ミランダが飛来する。頭上の空のように晴れやかな表情。卓上に並べられた本をまじまじと見つめる。椅子に座り、ファッション雑誌をためらいがちに手に取り、めくる。旅行雑誌をめくる。料理雑誌を手に取り、めくることなく置く。小説『ピクニック』の表紙と背表紙を交互に眺め、めくる。一枚、二枚、三枚……、滞在時間が三〇分におよぶ。

 最近のアップルヤード氏。三台の本棚を丸テーブルのとなりに設置する。巨大な天幕を張る。

 ミランダは椅子に座り、ウィンナーコーヒーを飲みながら『ピクニック』の続きを読む。卓上に読みさしを置く。本棚の前に立ち、目を動かす。一冊ずつ抜き取っては背表紙を眺め、ぱらぱらめくり、棚に戻す。レメディオス・バロの画集を手に取る。卓上に広げ、コーヒーカップ片手に一ページずつ時間をかけて目を通していく。

 最近のアップルヤード氏。レメディオス・バロの複製画を何枚も木の枝に吊り下げる。

 遠雷が轟き、横殴りの豪雨が降り出すと、ミランダが慌ただしく飛び立っていく。
 わたしたちもアップルヤード邸の大きな居間に避難する。飾り棚に並んだいくつもの写真に魅入られる。
 ミランダ、ミランダ、ミランダ。
 そのなかに小さな女の子の写真が一枚混ざっている。これは誰なのかと問うと、アップルヤード氏は答える。ミランダだ。
 だが写真の女の子はミランダとは似ても似つかない。黒の巻き髪につぶらな瞳、頬にちりばめられたそばかす。園に咲くブーゲンビリアを背景に内気そうに微笑んでいる。翼はない。

 最近のアップルヤード氏。日ごとに絵画を掛け替え、カウチを置く。最近のアップルヤード氏。ダブルベッドを置く。ベッドテーブルを置き、ライトスタンドを置く。最近のアップルヤード氏。ステレオとレコードプレーヤーを置く。各種レコードの並んだ棚を二台置く。最近のアップルヤード氏。大型の液晶テレビ、DVD再生プレーヤー、DVDの棚を置く。最近のアップルヤード氏。丸テーブルに豪華な料理を用意する。最近のアップルヤード氏。大きなサファイヤ、大きなルビー、大きなダイヤモンド、大きなエメラルドの指輪やネックレスを用意する。化粧道具を用意する。最近のアップルヤード氏。家財一式を園に出す。

 ミランダは園をまわりながらレメディオス・バロ、カミーユ・ピサロ、ヴァレンティン・セローフの複製画を鑑賞する。ミランダは色とりどりの指輪を一〇本の指にはめる。たくさんのネックレスを首からさげてじゃらじゃら鳴らす。ミランダは『平均律クラヴィーア曲集』や『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』のレコードをかける。ミランダはブリーチーズをつまみながら赤ワインを飲む。車エビのソテーを食べ、シャンパンを飲む。ブルーベリーマフィンをほおばり、アップルサイダーを飲む。白いハンカチで口をぬぐう。ミランダはベッドで飛び跳ねる。転げまわる。ミランダはベッドランプをつけたり消したりする。口紅で枕に落書きをする。ミランダは『禁じられた遊び』を観る。『小さな悪の華』を三度も観る。ミランダは笑う。ミランダはあくびをする。ミランダは空を見上げる。ララルルル。

 最近のアップルヤード氏。上等なスーツを着て、深紅のネクタイを締める。髪にポマードを塗り、念入りに櫛を通して、ひげをそる。磨き上げた革靴を履いて、園に出る。コスモスの花を一本摘み、白妙の陶製の花瓶に挿す。卓上にアイスコーヒーのグラスと読みさしの『ピクニック』を置き、『平均律クラヴィーア曲集』のレコードをかける。椅子に座って、晴れ空を見上げる。

 グラスの氷が融ける。コーヒーの褐色が薄まる。広がりだす。わたしたちはいなくなる、だんだんと。だんだんと褐色のあわいがグラスの外に染み出してゆく。蒸発。ひとり、またひとりといなくなる。コスモスが褐色に染まり、枯れる。散る。いなくなる。閉じられた園で椅子にもたれ、晴れ空を眺め続ける。それがわたしたちの見た最後のアップルヤード氏。

次回は、2019年1月中旬更新予定。

Writing

石川 宗生(イシカワ ムネオ)

'84年千葉県生まれ。'16年「吉田同名」で創元SF短編賞を受賞。'18年、受賞作を含む単行本「半分世界」でデビュー。

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