close

物語を愛するすべてのひとたちへ-小説すばる

素晴らしき第28世界 石川宗生 ショートショート

『半分世界』で話題の新鋭が紡ぐ、鮮烈なショートストーリー。
本誌とウェブ、それぞれ異なる作品を毎月掲載。

ウンゴウンゴ教

「血圧……低下してい……」
「……血が……」
 声がきれぎれに聞こえる。もう指一本動かない。全身の痛みも消えた。わたしには分かる。もうじきわたしは死ぬのだ。思い返せば、ろくな人生ではなかった。ぱっとしない大学を出て、ぱっとしない会社に入り、結婚もせず、友人知人もおらず、ずっと独り身。そして会社帰り、夜道を歩いていたら車にはねられた。あっけない幕切れだ。
 だが、気を落とす必要はない。本番はこれからなのだ。この日のために、一〇年近くも祖の教えに従って鍛錬を続けてきたのだ。だからいっそうの念を込めて唱えよう。ウンゴウンゴ神のもとに届くように。
 ウンゴウンゴウンゴウンゴウンゴウンゴウンゴウンゴ……。

―――――

 長い、ゆるやかな落下のあと、水面に浮上したように息が楽になる。浮遊感に身を任せると、落下の流れが逆転し、まぶたの裏の暗闇が下方に流れていく。はるか頭上から一条の光が差し込み、次第次第に大きくなってわたしを呑み込むと、視界一面に純白の世界がぱぁっと拓ける。
 乳白色の雲海の果てまで続く、光り輝く白銀の大階段。
 最下段の前に群れなす数万人の群衆。
 上空では幾千の天使が白波のように飛びまわり、雲の大地にほのかな影を落としている。
 やはり、すべて祖のおっしゃったとおりだ。

 ウンゴウンゴ。わたしは幼少時、大病にかかり一度はあの世に送り出されるも、ウンゴウンゴ神の寛大な御心に導かれ、ウンゴウンゴの理を携えこの世に舞い戻ってきました。数多の宗教が乱立する現代において、正しき天国像を伝道するべくウンゴウンゴ神に送り返されたのです。ウンゴウンゴ。ウンゴウンゴーたちよ、よく聞きなさい。ウンゴウンゴ神はかくのごとくおっしゃっています。天国行きは無条件に確約されたものではありません。現世の善行ともまったくの無関係です。天国行きか、地獄行きか、それは死後の試練によって決まるのです。ウンゴウンゴ。ゆえにこの世が不公平だと嘆く必要はありません。不幸せだと憂う必要もありません。現世とは、死後の試練のために用意された鍛錬場に過ぎないのですから。ウンゴウンゴ。

 その場に立ちすくんでいると、やわらかな微笑をたたえた天使が舞い降りてきた。「二三時五九分、ぎりぎりでしたね。さぁ、これを肩からかけて、皆さんのいるところへ行ってください」
 渡されたのは「一五七三二四」とプリントされた白のビブスだった。わたしはそれを着て、群衆に加わった。悲喜こもごもの声色、種々の言語が飛び交っている。二〇歳前後の男女だらけで、みな番号違いのビブスを着ている。
 大きな鐘の音が鳴り響いた。
 話し声がにわかにやむと、黄金の光輝をまとった大天使が群衆の頭上にすがたを現した。中空でぴたりと静止し、拡声器をかかげる。
「それではこれより、二〇XX年三月一五日の天国入境レースを開催いたします」
 どよめきが一面に広がるなか、大天使は淡々と続けた。
「ルールは簡単です。皆さまには、目の前にあります大階段をのぼっていただきます。このはるか先には天国がありますので、そこに到着できた方は晴れて天国に入ることができます。しかし途中で立ち止まってしまった者、もしくはレースをあきらめた者は失格と見なされ、地獄に落ちていただきます。また、昨今の死者増加問題を受け、天国では人数制限を設けていますので、入境資格の付与は一日につき上位一万名までとさせていただきます」
 一瞬の静寂のあと、そこらじゅうで怒号、悲鳴、金切り声が爆発した。腹を抱えてけらけら笑い転げる者、ビブスを脱ぎ捨て踏みつける者もいる。
 大天使は意に介さず大声で続けた。
「なお、公平さを期すために、皆さまには肉体的、健康的に最も優れた年齢になっていただきました。ご希望の年齢や服装については、また天国に到着した際に調整させていただきますので、どうかご了承のほどよろしくお願いいたします。それでは、さっそく天国入境レースを開催したいと思います。ラッパ隊、前へ!」
 無数の天使が上空に横一列に並び、金色のラッパをかかげた。
「……三、二、一、スタート!」
 ぷぉーっとラッパがいっせいに吹き鳴らされ、後方から押し出される恰好で前方集団が階段をのぼりはじめた。しかし群衆の大半は依然、浮遊する天使らに向かって抗議を続けている。大階段とは真逆の方向、果てなき雲海の彼方に駆けてゆく者もいる。
 わたしは足を止めた者たちのあいだを通り抜け、ウンゴウンゴとこころのなかで唱えながら階段をのぼりだした。一〇〇段ほどのぼったところで、背後からけたたましい悲鳴が聞こえてきた。振りかえると、大階段前でたむろしていた連中に天使たちが襲いかかり、網でひとまとめに捕らえ雲の下に落としている。
 なにもかも祖のおっしゃったとおりだ。

 ウンゴウンゴ。天国入境の試練は完全な実力勝負であり、現世における鍛錬の成果が試されます。されど、ウンゴウンゴーたちよ、なにも恐れる必要はありません。これまで習得に励んできたウンゴウンゴの理を解き放てば、必ずや天国にたどり着けるでしょう。ウンゴウンゴ。立ち止まっている暇はありません。天使がすかさず強襲し、地獄に落としてきます。一歩でも踏みはずせば地獄に真っ逆さま、ゆえに階段は中央をのぼったほうが賢明です。ウンゴウンゴ。大事なのは急がず焦らず、ウンゴウンゴのマントラに合わせて一段ずつ着実にのぼり続けることです。ウンゴウンゴ。

 白、白、どこまでも続く、白。
 このひたすら単調な風景のなか、変わりゆくのはおのれのみ。死後の世界でも、ひたいに玉の汗が浮かび上がってくる。ビブスがうっすら黒ずんでゆく。ひざが笑いだす。けれど、わたしにはウンゴウンゴの理がある。一段、一段と、ウンゴウンゴ。もう一段、一段と、ウンゴウンゴ。時間感覚が蒸発し、やがてウンゴウンゴが取って代わる。
 ウンゴウンゴ。
 何段のぼったのかも分からない。後方、スタート地点はもう見えない。
 ウンゴウンゴ。
 団子状態だった集団の間隔が広がりだし、ひとりは階段を踏み外す。ひとりは転がり落ちる。ひとりはひざに手をあてる。ひとりは階段に座り込む。ひとりは嘔吐する。その都度上空から天使が急降下し、足を止めた者を階段わきに払いのけてゆく。助けてぇ! 悪魔! ママ! あぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! 階段の端をつかみ、天使に殴りかかるも、矢の雨を浴び、槍で刺され、あえなく突き落とされる。そんなおぞましい光景を間近で見るたび、思わず奇声を上げそうになる。
 ウンゴウンゴ。
 こころをかき乱されてはならない。ウンゴウンゴの乱れにもつながりかねない。大事なのは無心でウンゴウンゴを暗唱し、一定のペースでのぼり続けること。ウンゴウンゴウンゴウンゴ……。

 ウンゴウンゴ。来たるべき天国入境レースに備え、日々欠かさずウンゴウンゴを唱えながら階段をのぼるのです。浮き世の呼吸とは生きるためにあらず、大階段をのぼるリズムを体得するためにあるのです。ウンゴウンゴ。慣れぬうちはウンゴウンゴと唱えられず、ウゴウゴウンゴ、ウンゴゴウンウゴ、ウゴウゴウンゴとなるやもしれません。しかしそれとて、長きにわたり繰り返せば、おのずとウンゴウンゴに落ち着くことでしょう。ウンゴウンゴ。

 祖の教えに則り、わたしは週三回ウンゴウンゴ教の集会施設で、ほかのウンゴウンゴーとウンゴウンゴを唱えながら階段をのぼり続けた。そればかりでは足らぬと思い、日常でもこころのなかでウンゴウンゴを唱えた。満員電車でつり革をつかみながらウンゴウンゴ。退屈な会議中もウンゴウンゴ。お先に失礼しますと言いつつ、ウンゴウンゴ。酒のつまみもウンゴウンゴ。ヒツジを数えるかわりにウンゴウンゴ。ウンゴウンゴの夢のなかでウンゴウンゴ。おかげで、わたしは息を吐くようにして自然にウンゴウンゴできるようになった。
 ウンゴウンゴ。
 厳密にいえば、ウン・ゴ・ウン・ゴのリズムだ。ウンで片足を上段に置き、ゴで全身を持ち上げる。
 ウンゴウンゴウンゴ。
 いつしかわたしは先頭集団に躍り出ていた。スタート地点ではごまんといた群衆もいまや一〇〇〇名足らず。それもウンゴウンゴーばかりだ。肌の色も、言語もさまざまだが、階段をのぼる規則正しいリズムだけで、彼らが真正のウンゴウンゴーであることが手に取るように分かる。わたしたちは目が合うたび、階段をあがるリズムでもってウンゴウンゴと挨拶を交わす。奇遇ですね、おなじ日に死ぬなんて、と。
 ウンゴウンゴウンゴウンゴ。
 風はなくとも、ウンゴウンゴするだけで風が起こる。毛先から飛び散る汗がウンゴウンゴときらめく。全身を駆けめぐるのはウンゴウンゴとした高揚感。いまなら天使よりも軽やかに、伸びやかに、どこまでもウンゴウンゴできそうな気がする。あぁ、これが言わずと知れたウンゴウンゴーズ・ハイに違いない……!
 ウンゴウンゴウンゴウンゴウンゴウンゴ。
 気の遠くなるような長いウンゴウンゴの果て、わたしはウンゴウンゴと一体化し、脈打つウンゴウンゴとなる。
 ついに大階段の終わりが見えてきた。
 神々しき光輝を放つ白亜の門。あれがきっと、祖がおっしゃっていたウンゴウンゴの門に違いない。あとすこし。ほんのすこし。最後まで気を抜くことなくウンゴウンゴし続けよう。ウンゴウンゴウンゴウンゴウンゴウンゴ……。

 ウンゴウンゴ。階段の終わりに待っているのは、ウンゴウンゴの理を体得した者のみが到達できるウンゴウンゴの高み。天国という名の、ウンゴウンゴーの楽園。あなたはそこで、先に到着していた大勢のウンゴウンゴーに迎え入れられることでしょう。大いなるウンゴウンゴ神からウンゴウンゴの祝福を惜しみなく注がれ、永久不変のウンゴウンゴ的ウンゴウンゴとなるのです。ウンゴウンゴウンゴウンゴウンゴウンゴ……。

―――――

「ご臨終です」
 静まりかえった手術室、冷ややかな声が響く。看護師らが後片付けに入るなか、医師二名が出術室から出て、更衣室で着替えをはじめる。
「また駄目でしたね」と若い医師。「今月だけでもう三件目ですよ」
「また上からなにか言われるかもな」と年長の医師がちいさく笑う。
「仕事とはいえ、やっぱり真理を知ってる以上、あんまり身が入らないっていうか」
「ま、しょうがない。事実なんだから」
「せめて無事にたどり着いてくれればいいんですけど」
「だな。今回にかぎったことじゃないが、真理を教えておきたかったっていう心残りはすこしある」
「あ、あの患者は知ってたみたいですよ」
「え」
「気づきませんでしたか? ウンゴウンゴ。最期、ぶつぶつ唱えてましたから」
「そうか……。だったらいいんだ」
「いっそのこと、身分証明書とかにウンゴウンゴ知ってるかどうか記載義務化してほしいですよね。そしたら患者が死んでも、いちいち思い煩わないですむのに」
「違いない」と年長の医師は笑う。
「じゃあ、そろそろ我々も本来の勤めに戻るとしますか」
「あぁ」
 ふたりはうなずき、更衣室から出る。長い廊下をわたって非常口の扉を開けると、薄暗い階段ではすでに大勢の医師、看護師、患者が列をなして階段をのぼっている。ふたりも列に加わり、一段、また一段とのぼってゆく。ひたすら一心に唱えながら。

 ウンゴウンゴウンゴウンゴウンゴウンゴウンゴウンゴウンゴウンゴウンゴウンゴウンゴウンゴウンゴウンゴウンゴウンゴ……。

Writing

石川 宗生(イシカワ ムネオ)

'84年千葉県生まれ。'16年「吉田同名」で創元SF短編賞を受賞。'18年、受賞作を含む単行本「半分世界」でデビュー。

閉じる