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物語を愛するすべてのひとたちへ-小説すばる

人間界の諸相 木下古栗 掌編連載

アメトーク読書芸人で取り上げられ注目を集める木下古栗。
ナンセンスの極北を描く鬼才による初の掌編連載。(ときどきエッセイも公開。)

次回は4月17日(月)に掌編を更新予定です!

【エッセイ】異界の表現者

 スコット・ウォーカーは約半世紀前、三人組ポップグループ「ウォーカー・ブラザーズ」のリードヴォーカルとして、さらにソロとしても(主に日英で)アイドル的人気を誇った――らしい。しかし自分の興味はここ二十年ほどの、およそ「暗く前衛的」と評される彼の作品にある。特に二〇〇六年のアルバム『The Drift』をCDショップで初めて試聴した際、その異様なエネルギーとオブセッションに満ちた「暗い」音楽に、思わず笑ってしまったことを覚えている。
 馴染みのない「他」に出くわした時、その「他」に対しての融和、及び自身の強張りを緩和する働きとして、人は笑ってしまう。その笑いが近しさや共感に染まるなら、それは「他」と和合する笑い、ひいては「内輪」の笑いとなる。また和合とは逆に、笑いが「他」を餌にして群れをなすと、排他的な共感を形成することもある。しかし一対一で、他人の精神から生み出される異質さが強く現れたもの、すなわち何らかの「表現」に接して、生じた笑いが近しさや共感とは無縁なら、それは「他」に跳ね返されるような笑いだ。異様で暗い音楽なのに笑ってしまったのは、それが強烈に「他なるもの」だったからだ。
 実際、ウォーカー自身もインタビューにおいて、同じく「暗い」表現をしたと評されるフランツ・カフカの逸話――主人公が絶望的な状況に投げ込まれる自作の小説を朗読しながら笑っていた――を引き合いに出しつつ、自分の音楽も「暗い暗いと言われるけどそんなに単純じゃなくて、馬鹿馬鹿しい、笑えるものでもあるんだ」というようなことを口にしている。
 そうした彼の音楽から勝手に学んだのは、深刻な「暗さ」すらもが馬鹿馬鹿しく、時に笑ってしまうように現れているもの、それこそが表現であり「他なるもの」であるということだ。それが小説ならば死や暴力、狂気、道を外れた性倒錯などの願わくば出くわしたくない暗い要素が、恐怖や凄まじさを感じさせるよりも、むしろ笑ってしまうように描かれていなければならない。もし深刻な暗さを深刻に感じられたなら、それは共感にすぎず、既に身に覚えた「内輪」の情動の喚起にすぎないのだから。
 もちろん共感や内輪は欠くべからざるものではある。しかしそれは「家」や「村」的なものであり、身近な実生活にあるべきだ。一方で表現というのは異質な、隔たった「宇宙」的なものであるべきだ。自分が生息できない別の惑星の空気を吸ってしまうようなもの。その束の間の窒息が「他」に触発された笑いなのだ。
 だからアイドルと言っても、自分にとってスコット・ウォーカーは近しく拝める偶像などではない。遠い惑星にぽつんと立っている謎の物体のようなものだ。そこから時々、CDという円盤が飛来する。それを聴くと、やはり笑ってしまうのだ。

(小説すばる 2016年1月号)

次回は4月17日(月)に掌編を更新予定です!

Writing

木下 古栗(キノシタ フルクリ)

1981年生まれ。2006年に「無限のしもべ」で第49回群像新人文学賞を受賞。著書に『ポジティヴシンキングの末裔』『いい女vs.いい女』『金を払うから素手で殴らせてくれないか』『グローバライズ』がある。

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